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「人の心を動かす試合とは何か?」中西哲生が“博多の森の悲劇”から学び、川崎Fで伝え続けていること《アーセナル潜入秘話も》

2024/06/25
Jリーグ2チームでプレーしたのち、サッカー解説者、コーチ、スポーツジャーナリストとしても活躍する中西さん
 これまでに「Number」とお仕事をしてきた人や、注目のクリエイターに自分の好きな、思い入れのある記事について語ってもらう連載『My Number』
 今回は、サッカー解説者・コーチで、ライターとしても活躍する中西哲生さんです。中西さんが選んだ記事は、選手時代に初めて取材を受けたノンフィクション「神を見た夜(前編後編)」(文=金子達仁)、そして自らがアーセナルに“潜入”して執筆した「ベンゲルイズムの裏側」です。2本の記事について、当時を思い返しつつ語ってもらいました。

 Numberは昔から楽しく読んでいました。その映し出そうとする“ヒューマンドキュメンタリースポーツドラマ”には特別感があって、取材を受ける時は嬉しかったです。だから、自分で初めて原稿を書くときにはめちゃくちゃプレッシャーを感じました(笑)。そんなNumberでは、ぼくのサッカー人生で、大きな学びがあった2つのできごとが記事になっています。

「二度と見たくない」試合を語る気になった理由

 Number467号468号の「神を見た夜」は、選手として初めてNumberから取材を受けた記事です。

 1998年11月、当時JFLだった川崎フロンターレで、ぼくはJリーグ昇格をかけてアビスパ福岡と戦いました。ぼくたちが「博多の森の悲劇」と呼んでいる試合です。Jリーグとしても初めての“入れ替え戦”で、当時は一発勝負。もし昇格できなかったら、チームが消滅するかもしれないと言われていて、引き分けも許されない難しい状況でした。

 結局、1点リードで迎えた後半アディショナルタイム、ぼくのバックパスのミスから同点に追いつかれて、最後は逆転されて負けてしまいました。

 試合の2カ月後くらいに、この試合について取材させてほしいと言われました。「もう二度とこの試合を見たくない」とずっと思っていましたが、この記事は相手側の選手も含めて、何人ものことばで紡がれるノンフィクション。あの試合がどんな試合だったのか、相手側から見た事実も知ることができると考えたんです。

 チームが消滅するかもしれないという大きな不安の中で、この年で契約が切れた選手も何人もいました。その選手たちに報いるためには次のシーズン、昇格するしかない。あの「博多の森の悲劇」をしっかり消化して、自分たちの力に変えて戦わないと、絶対昇格できない。そんな思いで、インタビューを受けました。気持ちはだいぶ落ち込んでいましたけどね(笑)。

 この取材を通して、気づいたことがあります。「“想い”が試合のクオリティを高くし、人の心を動かす」ということです。

 チーム消滅という危機感の中、試合というよりケンカみたいな気持ちで、何が何でも体をはって相手を止める、そんな“想い”が入った試合で負けてしまって、すごく落胆していました。

 そんな時に「負けたけど、めちゃめちゃ良い試合だった!」といろんな人が褒めてくれたんです。ぼくは「サッカーは、上手な選手同士の試合が一番おもしろい」と思っていました。でも、技術の高さや選手の実力だけではなく、“想い”をもって戦っているかどうかも「最高の試合」の要素になると気づきました。

誰も見たことのないアーセナルの内側を書けた。

 もうひとつは517号「ベンゲルイズムの内側」。当時、誰も見たことがなかったイングランドのプレミアリーグ・アーセナルの練習に、ぼくが潜入した時のことをぼく自身が書いた記事です。今考えても“奇跡”のような、引退後のサッカー人生で一番のできごとです。

 2001年、当時のアーセナルの監督はアーセン・ベンゲル。ぼくは1995年に所属していた名古屋グランパスで、監督を務めていた彼の指導を受けました。ベンゲルには「引退したら、勉強しに行きたい」と伝えていました。彼は「いいよ!」と言って、連絡先を置いていったのですが、それを鵜呑みにしたぼくは、引退を決めたあと「昔、一緒にやっていた中西です。1月に練習場に見学に行きたい」とFAXを送りました。

 返事もなく、約束もない中で、練習場を訪ねました。どこから入っていいかも分からず、門のところで言ったひとことが「I want to meet Arsene Wenger」。この場面は、記事の最初の一行にもなりました(笑)。

 ここでは「世界のトップオブトップをリアルに描けるか」がテーマでした。当時、アーセナルの取材は難しく、誰も練習場に入れなかった。中で何をやっているか分からなかった。だから日付と時間、練習内容、監督や関係者が話した内容など、事実をとにかく正確に伝えようと意識しました。

 Numberにもいろんな記事がありますが、誰も見たことのないアーセナルの内側を書いたのは、自分にしかできない仕事だったと思っています。

 「神を見た夜」で、“想い”のこもった試合が見る人を感動させることに気づかされました。フロンターレののちのキャプテンにも脈々と伝え続けています。「いつも100%、お客様を満足させられる試合ができるわけじゃない。だけど、チケットを買って見に来てくれている人に対して、最後の最後まで全力を尽くす姿勢を示さなきゃいけない」と。この話を、今のキャプテンである脇坂泰斗選手がインタビューで話していて、自分が伝えたかったことが、のちの世代に伝わっていることが分かって、すごく嬉しかったです。

 そして「ベンゲルイズムの内側」。あの時、世界ナンバーワンのクラブで見たこと、アンリやピレス、ヴィルトールといったトッププレイヤーと話したことは、今でも鮮明に覚えています。ベンゲルや彼らから教わったことはすべて、日本に伝えたい。それが今、コーチをやっている理由です。

<こちらの原稿は「ナンバースポーツライティング実践講座」の授業の一貫として実施された中西さんへのインタビューをもとに、受講生が執筆した原稿の中で、講師陣の評価が最も高かったアツキリュウノスケさんによるまとめです>

中西哲生(なかにし・てつお)

1969年、愛知県生まれ。'92年に同志社大から名古屋に入団、'95年度に天皇杯優勝。'97年、川崎Fに移籍し、主将を務めて’99年のJ1昇格に貢献すると、2000年限りで現役引退。2023年4月より筑波大学蹴球部テクニカルアドバイザーに就任。久保建英選手をはじめ、さまざまな選手をパーソナルコーチとして教えている。

photograph by Tadashi Hosoda

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