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「“サッシー”こと酒井圭一さんが最後に力尽き…」“ほぼ日”狂気の甲子園企画を生んだ永田泰大、偏愛の原点《新連載「My Number」》

2024/02/19
思い出のNumberの記事を各界の方に語っていただく「My Number」。今回は甲子園にまつわる記事が選ばれました
 これまでに「Number」とお仕事をしてきた人や、注目のクリエイターに自分の好きな、思い入れのある記事について語ってもらう新連載『My Number』が始まります。
 初回にご登場いただくのは、「ほぼ日」でコンテンツ制作をする永田泰大さん。オリンピックの名物企画「観たぞ、オリンピック」や甲子園を絡めた「おらが夏の甲子園。」シリーズを担当、スポーツ全般にとても詳しく、それでもファン目線を忘れない方です。Numberのファンで、特に「高校野球が大好き」という永田さんの最も記憶に残っている記事とは?

引っ越すたびに応援する高校が増えちゃう

 Numberでは、夏の甲子園特集が好きですね。毎年楽しみに買っています。僕もメディア側の人間ではあるので、「この濃い内容を毎年つくっているのか」と思うと、本当に大変だなあと実感しています。

 甲子園特集の中でも、「こういう取り上げ方があったのか!」と思ったのが、で47都道府県別の名勝負を取り上げたNumber759号「47都道府県総覧 『故郷が一番泣いた夏』」です。(記事は4本に分けて<北海道・東北・北信越編><関東・中部編><関西・中国編><四国・九州編>として掲載)

 僕は家が転勤族なんです。生まれたのは佐賀ですけど住んでなくて、福山に行って、千葉に行って、徳島に行って、広島に行って、おとなになってからは東京に住んでいます。だから「出身はどこ?」とか「地元はどこ?」って聞かれると、困っちゃう。でも、住んでいるところってそれぞれ愛着が出るので、引っ越すたびに甲子園で応援する高校が増えるなあって思ってます(笑)。

 甲子園って普通のスポーツとはちょっと毛色が違いますよね。地域との結びつき方とか、思い入れの度合いが全然違う。代表校の選手のこと、みんなが「うちの子」だと思ってますよね。これは他の競技にはないものなのかなと。たぶん世界的に見てもかなりユニークなスポーツの形式なんじゃないかと思ってて、それをうまくすくい取っているのがこの記事だと思います。

細かい記事でびっしりと47都道府県の試合を紹介しています
細かい記事でびっしりと47都道府県の試合を紹介しています
 

 47都道府県の試合を全部選ぶというだけでも大変ですよね。しかもそれぞれの県のひとたちが納得する試合を選ばなきゃいけない。すごいなって思います。しかも決勝だけじゃなくて、1回戦や2回戦もセレクトされていたりして……。ライターの故・永谷脩さんがお一人で書かれているんですよね。そういった「すごみ」みたいなものも出ているなと感じます。

子どものころの記憶の試合もこの記事に…

 甲子園は子どものころから見ているんですが、一番古い記憶は、母の実家で見た試合です。おばあちゃんの家は佐賀なんですが、甲子園って自分の県が負けると隣の県、同じ地域を応援したりしますよね(笑)。それで長崎の海星高校の試合を見ていて、準決勝でPL学園に負けたんです。“サッシー”と呼ばれていた酒井(圭一)さんというピッチャーが最後に力尽きちゃって……。いとこががっかりしていたのをよく覚えてます。その試合がなんと、この記事に載っていたんですよ。びっくりですよね。1976年って、だいぶ前なのに。

永田さんの一番古い記憶だという試合が、なんと記事に載っていました ©️Misa Fujii
永田さんの一番古い記憶だという試合が、なんと記事に載っていました ©️Misa Fujii

 応援していた海星は負けてしまって残念でしたけど、同時にPLにも心つかまれました。アルプススタンドでどんどん変わっていく人文字がとてもキャッチーでしたね。あとは小学校2年から6年まで徳島に住んでいたので、どうしても池田高校を応援してしまいますね。

 池田高校は蔦(文也)監督のやまびこ打線で春夏連覇する前から応援していて、そのころにいつも大事なところで箕島高校(和歌山)に負けてるというイメージがあって、だからぼくの中で一番強い学校は箕島なんです(笑)。79年の夏に箕島対星稜(石川)で延長18回までいった試合がありましたが、星稜がんばれ!ってずっと応援してました。箕島の尾藤(公)監督、強かったなぁ。

 こうやって、敵として、隣の県として、いろんな思い入れがどんどん移っていくのが甲子園の面白さですよね。そうやって見ていくと、この記事も「あ、あの学校に負けたな」とか「思い入れのある決勝があった大会にこんな試合もあったのか」とつながっていきます。

 他のページは1人の選手やひとつのチームにフォーカスしているものが多いですけど、この記事は6ページにギュッと、それぞれの人の甲子園とのつながりみたいなものが詰まってますよね。文字もめちゃくちゃ小さい。これって、読者が食い入るように見るだろう、という信頼ですよね(笑)。

「見る専」でこれからも楽しみたい

 しかも甲子園、甲子園と熱く語ってきましたが、実は僕の高校には硬式野球部がなくて……ずっと「見る専」でここまできてるんです。

 現地に行ったのは2005年と2011年の2回だけ。2005年はほぼ日で甲子園特集をやったんですが、「甲子園にまつわるメールを募集して、毎日試合前から試合後までリアルタイムでひたすらページに掲載して更新していく」という狂気のようなことをやりました(笑)。試合展開も入れながらやっていたんですが、これが本当に大変で。現地にいるのにパソコンばっかり見てました。

 2011年に東日本大震災があったときは、福島県の高校野球を県大会から追いかけていたんです。震災直後に、ほぼ日では気仙沼の方にインタビューをして載せたりしていたんですけど、福島に関しては、原発の事故の影響もあったりして、取材の切り口がなかなか難しかった。そんなとき、春の県大会が中止になっていた福島で夏の大会は行うと聞いて、「あ、それなら素直に取材できる」って思ったんです。自分が好きなので、福島の高校野球を取材します、って。変な言い方ですけど、高校野球をずっと好きでよかった、助けられたって思いました。

 県内のいくつもの高校を取材しましたけど、印象に残ってるのは、震災の影響で部が存続できなくなった3つの高校が連合して出場した「相双連合」。避難や引っ越しで散り散りになった生徒たちが、野球部の応援席で「久しぶり!」って会ったりしてて、たまらなかったですね。

 そんななか、圧倒的な強さで優勝したのが聖光学院。初めて聖光学院に取材に行った時、斎藤智也監督が出迎えてくれて「どうぞ」って冷え冷えのリポビタンDを出してくれて、「かっこいいなあ!」って思いました。その年に聖光学院を応援しに、甲子園にも行きました。いまでも聖光学院は応援している高校のひとつです。

 最近は昔ほど食い入るようには全部の試合を見ていないかもしれません。また、思い出のひとつになる熱い試合に出会えたらいいなあと思います。Numberの甲子園特集、これからも楽しみにしています。

永田さんセレクトの記事が掲載された759号。画像をクリックすると、NumberPREMIER会員なら記事全文が読めます。
永田さんセレクトの記事が掲載された759号。画像をクリックすると、NumberPREMIER会員なら記事全文が読めます。

永田泰大(ながた・やすひろ)

1968年生まれ。週刊ファミ通の編集者を経て2005年、ほぼ日入社。ほぼ日では、さまざまなコンテンツ制作を担当。イベントの企画や書籍制作も手がける。

photograph by Yuki Suenaga
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