その名を初めて知ったのは2009年夏、奈良で行われた高校1年のインターハイだった。組み合わせが発表されると、田中亮明(岐阜・中京高、現・中京学院大附中京高)の耳に誰かの声が聞こえてきた。
「こいつ、やばいらしいぞ。U─15(15歳以下の大会)でMVPを取っているからな」
みんなが噂しているのは、どうやら同じ1年生、同じ階級の井上尚弥(神奈川・新磯高、現・相模原青陵高)という選手のことらしい。
亮明は初戦で他の選手に敗れ、「やばいらしい」選手は決勝で、のちの世界王者となる2学年上の寺地拳四朗(現・拳四朗)に3回RSC(レフェリーストップコンテスト)の圧勝。1年生チャンピオンに輝いた。
「やっぱり井上ってヤツは強えんだな」
それくらいの感想しかなかった。
しかし、会場で決勝まで観戦していた亮明の父・斉には強烈な印象が刻まれた。
「尚弥君は小さかった。でも、馬みたいな躍動感があった。この子が一番なんやな。この子に食らいついていくだけだなと」
まだライバルと呼ぶのはおこがましい。だが、親子の明確な目標が定まった。
田中家は長男・亮明5歳、次男・恒成3歳のとき、親子で空手を始めた。亮明が中学に入学する頃、一家はボクシングに転向。そこで圧倒的な存在だったのが井上家だった。田中家と同じ「父子鷹」。しかも2人の子供が偶然にも同じ学年、同じ体重に育ったがゆえ、糸は密に絡み合った。
亮明という糸は、空手仕込みで荒々しく、気が強い。尚弥は一目見て洗練された動きと分かり、トップ選手ならではの輝きを放っていた。どちらも同世代の選手の中では際だっていた。
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