#996
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「あと5mあればね…」バタフライの新鋭・春名美佳はいつまでも“14歳の自分”を追いかけた《連載「オリンピック4位という人生」1992年バルセロナ》
2024/08/01
![](/mwimgs/7/5/-/img_75966332da6a4cb48ad976562a2b2b68205973.jpg)
岩崎恭子らとともに“花の中2トリオ”と呼ばれ、4位に輝いた14歳の少女。その後、表舞台から姿を消した彼女に今までの歩みを聞くと―。(初出:Number996号 1992バルセロナ「14歳の自分を追いかけて」オリンピック4位という人生)
岩崎恭子が「幸せです」と金色に輝いたバルセロナの陽光の下、メダルにあと一歩とどかなかった14歳のスイマーがいた。
春名美佳。200mバタフライの新鋭。
当時の彼女にとって十分に幸せだった4位という結果は、時が経つごとに人生を苛んでいった。それは28年が過ぎた今も。
![200m平泳ぎでの金メダルに涙と笑みが溢れ出す岩崎恭子 ©AFLO](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/2/d/1600wm/img_2ddbb779f4b1bb3a2b50fd87482ee905136997.jpg)
「私などで良いのでしょうか……」
迷い人はためらいながら口を開いた。
バルセロナのスタート台に立ったときの気持ちを今も覚えています。胸は緊張でドキドキしているのに不思議と不安はなくて、これから何が起こるんだろうという楽しさだけ。開放的な屋外のプールで気持ちが外へ外へと向かっていくのがわかりました。
私が人生でいちばんワクワクした試合。
水に飛び込んでから覚えているのは、最後150mのターンでもまったく疲れていなかったことだけです。夢中でゴールしたら、2分9秒88という当時の日本新記録が出ていて、4位という順位でした。
でも、私にとってはどうでもよかった。6歳から教えてもらっている水泳クラブの先生からは、当時日本でいちばんだった3つ隣のレーンの司東利恵さんに勝てばいいと言われていて、それができた。これで褒めてもらえる。それだけで良かったんです。
先生は当時20歳台半ばでしたが、とても厳しい女性で、決めたタイムを切れなければ何度でも泳ぎ直し。何本も何本も。そのうちに私は最初から全力を出さずに力を残す癖がつきました。スタミナがある、後半に強いと言われたのはそのためです。
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photograph by Takashi Shimizu/PHOTO KISHIMOTO