晴舞台のどんじりから流れ着いた南半球でGIを勝ち、さらには種牡馬となる――。運命をひっくり返した“ビリ馬”2頭の数奇で幸福なサクセスストーリー。(原題:[逆転馬生物語]海を渡ったダービー最下位馬)
最下位と書いてビリと読む。日本ダービーの歴史に名を連ねる90頭の優勝馬の陰には、同じ数の「ビリ馬」――私なりに親愛の情を込めた表現であることはご理解いただきたい――がいる。ちなみに競走中止は除き、「最後にゴールした馬」がビリ馬の定義。当然、無名のまま消えていった馬が大多数を占めるが、後年に名を馳せた馬も意外に少なくない。特にダービーのフルゲートが18頭に制限された'92年以降は“のちに活躍したビリ馬”が急増する。
たとえば。'93年17着のドージマムテキは5歳時に京王杯オータムハンデを勝ち、'96年の香港国際ボウルで2着。晩年は森秀行厩舎の“海外遠征帯同馬”としても活躍し、僚馬アグネスワールドの2度の海外GI制覇に貢献した。'97年17着のゴッドスピードは中山大障害をはじめ障害重賞を3勝。'08年のサクセスブロッケンは日本ダービー(18着)の次戦、ジャパンダートダービーを制し、「芝のビリから砂の3歳王者へ」をやってのけた(翌年もフェブラリーS、東京大賞典に優勝)。
そうしたなかでも目を引くのが、'14年16着のトーセンスターダムと'16年18着のブレイブスマッシュだ。島川隆哉オーナーの所有馬としてダービーを走り、ビリに終わった2頭はその後、相次いでオーストラリアへ移籍。ともに新天地でGIを勝った。しかもこのサクセスストーリーは現在、新たな進展を見せつつある。運命の糸で結ばれていたとしか思えない両馬の「日本ダービー・ビリからの逆襲」をご紹介しよう。
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photograph by Yuji Iwasaki(Illustration)