“皇帝”から“帝王”へと継承されたサイアーラインから“三代目”の名馬が現れることは、ついになかった。運命には抗えず、このまま滅びゆくしかないのか――。テイオーの血の今を知るべく、初春の北海道を訪ねた。(初出:Number1027号[ダービー無敗制覇から30年]トウカイテイオーの血脈を追って。)
30年前の春、私はサンケイスポーツの競馬記者で、取材現場に出て2年目の駆け出しだった。しかし若手を積極的に鍛える社風からトウカイテイオーの番記者に指名され、毎日、青息吐息で駆け回っていた。
歓喜と落胆、そして復活。波乱万丈の競走生活を送った馬は2年後の1994年8月、引退が決まる。それに先駆け、内村正則オーナーの代理人として、社台スタリオンステーション(SS)で種牡馬入りする話をまとめた人物が二風谷軽種馬共同育成センター代表の稲原敬三である。引退が決まった直後、その敬三が改まった口調でこんな話をしてくれたことがある。
「種牡馬としての将来を考えれば、社台さんにお願いするのが一番いいと思って話を決めた。不満に感じる人もいるかもしれないけれど、そのことは分かってほしい」
内国産のスターホースが社台SSで種牡馬入りする。現在では“当たり前”の流れだが、'94年当時はまだそうではなかった。ミスターシービー、メジロマックイーンという前例はあったものの、テイオーのように日高の牧場(長浜牧場)で生まれたスターホースは「日高で種牡馬入りさせるのが筋」とする考えが支配的で、つまり敬三は時代の先を読んでいたことになる。
当時の私も、社台SSでの種牡馬入りは「ベストの選択」と思った。父のシンボリルドルフが初年度産駒からテイオーを送り出したように、前途にはバラ色の未来が開けていると信じて疑わなかった。
しかし無傷のダービー制覇から30年がたった今、テイオーの父系は“途絶えたも同然”といえる状況にある。
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photograph by Hirokazu Takayama