#1096
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「寒気がしたよ。『これ、すげえわ!』って」河内洋がアグネスタキオンと挑んだ“幻の連覇”「全部余力残しだった」<2001日本ダービー秘話>

2024/05/17
騎手としてG1級22勝を上げ、現在は調教師の河内洋とアグネスタキオン
悲願のダービージョッキーとなった半年後、衝撃はもたらされた。「ものが違う――」。夢を叶えてくれた兄を遥かに凌駕した感触を、かつての職人騎手は今も忘れることはない。(原題:[河内洋、幻の連覇]2001アグネスタキオン「忘れられない寒気」)

 馬上の河内洋の背が大きく揺れている。冷静な騎乗で知られる騎手とは思えないほど、格好悪く、懸命に左鞭をいれ、手綱を激しく動かしている。

「これが最後という気持ちで乗っていた」

 河内はあの直線を振り返って言った。

「エアシャカールはフラフラする馬なので、なるべく近づかないようにしていたんだが、ちょっと寄られて、2回当たったかな」

 1度めの接触で、体の大きさで劣るアグネスフライトは外に振られ、内のエアシャカールが2馬身ほど前にでた。それでも河内とアグネスフライトはあきらめずに前を追いかける。アグネスフライトは一歩一歩差を詰め、ふたたびエアシャカールと馬体を接してもひるまずに、2頭は鼻面を並べるようにしてゴールインした。

 ゴールの瞬間、河内は勝っていると思ったが、ゴール板から遠い外側での攻防だったこともあって、確証が持てなかった。

「おめでとうございます!」

 ゴールを過ぎて、武豊が祝福してくれた。派手なパフォーマンスを好まない河内が、めずらしく、右手を高く掲げた。

'00年アグネスフライトは河内にとって17度目のダービー挑戦だった Tomohiko Hayashi
'00年アグネスフライトは河内にとって17度目のダービー挑戦だった Tomohiko Hayashi

 2000年5月28日、河内洋はダービーに勝った。ダービーに挑むこと17度め。ロングヒエン、ラグビーボール、サッカーボーイ、ロングシンホニー……と何頭もの人気馬、有力馬に乗ってきながら勝てなかった名手が、45歳でようやくダービージョッキーの栄誉を手にしたのだ。

「最後は馬の執念。人馬とも必死だった」

 どんなレース、どんな馬の話を聞いても、いつも淡々と話をしてくれる河内が「執念」とか「必死」ということばを使ったことが意外だったが、それだけダービーは重いレースなのだろうと思った。

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photograph by Keiji Ishikawa / Hideharu Suga

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