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「寒気がしたよ。『これ、すげえわ!』って」河内洋がアグネスタキオンと挑んだ“幻の連覇”「全部余力残しだった」<2001日本ダービー秘話>
馬上の河内洋の背が大きく揺れている。冷静な騎乗で知られる騎手とは思えないほど、格好悪く、懸命に左鞭をいれ、手綱を激しく動かしている。
「これが最後という気持ちで乗っていた」
河内はあの直線を振り返って言った。
「エアシャカールはフラフラする馬なので、なるべく近づかないようにしていたんだが、ちょっと寄られて、2回当たったかな」
1度めの接触で、体の大きさで劣るアグネスフライトは外に振られ、内のエアシャカールが2馬身ほど前にでた。それでも河内とアグネスフライトはあきらめずに前を追いかける。アグネスフライトは一歩一歩差を詰め、ふたたびエアシャカールと馬体を接してもひるまずに、2頭は鼻面を並べるようにしてゴールインした。
ゴールの瞬間、河内は勝っていると思ったが、ゴール板から遠い外側での攻防だったこともあって、確証が持てなかった。
「おめでとうございます!」
ゴールを過ぎて、武豊が祝福してくれた。派手なパフォーマンスを好まない河内が、めずらしく、右手を高く掲げた。
2000年5月28日、河内洋はダービーに勝った。ダービーに挑むこと17度め。ロングヒエン、ラグビーボール、サッカーボーイ、ロングシンホニー……と何頭もの人気馬、有力馬に乗ってきながら勝てなかった名手が、45歳でようやくダービージョッキーの栄誉を手にしたのだ。
「最後は馬の執念。人馬とも必死だった」
どんなレース、どんな馬の話を聞いても、いつも淡々と話をしてくれる河内が「執念」とか「必死」ということばを使ったことが意外だったが、それだけダービーは重いレースなのだろうと思った。
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