山の神とその個性豊かな同級生が掴んだ'07年の優勝。だが、大学駅伝界を牽引した名門は以後、低迷期に入る。内部からその時代を見た記者が、母校の失敗の本質に迫った。(初出:Number1017号順天堂大学[名門ゆえの陥穽] 「今井正人の後悔、復権への鼓動」)
盛者必衰の理。それは11度の総合優勝を誇る名門、順天堂大学にも例外なく降りかかった。途絶えたのは王者としての誇り、時代の流れとともに薄れていったのは自己責任の真の意味。学生駅伝界のとめどない進化の中で、立ち止まりかけていたそんなチームの門を、18歳の私が叩いたのは2010年の春だった。
憧れが全てだった。'07年の箱根駅伝。当時、福島四中3年だった私は新春早々からテレビにかじりついていた。1月2日の昼過ぎ、スタートから4時間15分8秒。トップで襷を受けた5区の選手は、本当に上り坂を走っているのか疑わしくなるほどスイスイと天下の険を攻略していった。白い吐息。ゆがむ表情。それでも、止まらない脚。両手を広げて歓喜のゴールテープに飛び込むと同時に聞こえた名実況に、鳥肌が止まらなかった。
「山の神、ここに降臨! その名は今井正人!」
興奮冷めやらぬまま、雪降る福島の町へ走り出したことを今でも覚えている。
15歳の私は3000mの自己記録が9分5秒と東北大会出場がやっとの選手だったが、目に焼き付けた山の神の背中を追いかけずにはいられなかった。福島高では'86~'89年の順大4連覇時の主将、三浦武彦氏の指導を受けるという幸運にも恵まれた。
「考えられる選手が成長できる場だ。覚悟と信念が本物なら、挑戦してみなさい」
恩師に背中を押されて、AO入試を受験。なんとか合格をつかみ、スタートラインへ立つ資格を得た。どれだけ過酷な4年間になるかも知らずに。
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photograph by Getsuriku