“逆転の順大”と“復路の駒大”。そう呼ばれた2校が、箱根路で最も熾烈な優勝争いを繰り広げたのが’01年だった。最終盤で起きた2度の首位交代。その激戦がここに甦る――。(初出:NumberPLUS<90回記念完全保存版>箱根駅伝~1920-2014~順天堂大学 駒澤大学 [紫紺対決の真骨頂]「逆転に揺れた4つの足音」)
無謀に思えた。
駒澤大学の高橋正仁は、襷を受けとると鬼神のごとき表情で、まるでラストスパートのような激走を見せた。
「最初の方は下り坂が続くので、行けるところまで突っ込んでやろうと思っていました」
自滅行為にも映ったが「自分ではそんなに速いとは思っていなかったんですよ」とさらり。「それに、つぶれても無名の選手なので、誰も気にしないと思って」
現在、母校の陸上競技部コーチを務める正仁は、現役時代よりもだいぶ恰幅がよくなっていたものの、何事にも動じそうにない据わった目は昔のままだった。
「変な自信だけはありましたね」
紫紺対決―。そんな言葉を耳にしはじめたのは、1999年の箱根駅伝で古豪の順天堂大学が10年振り9回目の優勝を飾り、翌年に新鋭の駒大が初優勝してからだった。
以降、'01年は順大、'02年は駒大と、その4年間はタイトルを交互に分け合い、敗れた方はいずれも2位に食い込んだ。つまり、'99年から'02年はあたかも順大と駒大のマッチレースの様相を呈していたわけだ。
この対決は、日本陸上界を代表する名指導者で順大の黄金期を築いた澤木啓祐に、駒大を率いてこれからのし上がろうとする大八木弘明が挑む―そういう構図も内包していた。
その中でもとりわけ印象的だったのが第3ラウンド、'01年だった。ただでさえ逆転が珍しい復路の終盤で立て続けに順位が入れ替わる。今となっては、この年の最後の2区間は、4年間の紫紺対決の壮絶さを象徴しているかのようだった。
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photograph by JMPA