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《箱根駅伝・名勝負》早稲田大学vs東洋大学「結束の意味が問われた2年間」〜2011年“大接戦”と2012年“圧勝劇”を証言で振り返る〜
2024/01/12
217.9kmの継走の末、最少21秒差で決着した臙脂と鉄紺の激闘譜。歓喜と落涙の明暗が際立ったレースを両軍の証言で振り返ると、至高の名勝負の結末は、「365日後の未来」をも変えていた―。(初出:NumberPLUS<90回記念完全保存版>箱根駅伝~1920-2014~早稲田大学×東洋大学 [結束の意味が問われた2年間]「大接戦と圧勝劇の狭間で」)
「抜かれていいから」
早稲田大学の4年生だった猪俣英希は、5区に挑む際の心構えとして、コーチからそう助言されていた。
言葉を補えば、抜かれていい相手は東洋大学の柏原竜二だった。
山の神には逆らうな。簡単に言えば、そういうことだ。
第87回箱根駅伝は、早大と東洋大が抜きつ抜かれつの激しい優勝争いをしたことで駅伝ファンの心を掴んだ大会だった。
当時、早大は大学駅伝3冠を狙う立場にいた。一方の東洋大も、箱根駅伝を2連覇中で、この大会には並々ならぬ覚悟で臨んでいた。
両校の戦力にほとんど差はなかったが、箱根ではやや東洋大が有利だろう―。そんな意見が大勢を占めていたのは、山の神の存在があまりにも大きくなっていたからだ。
3年生の柏原はこの時すでに2年連続で区間新記録をマークするなど、山上りの5区で絶対的な存在となっていた。
各ライバル校がもっとも頭を悩ませていたのは、柏原のいる山をどう攻略するか。その一点に絞られていたと言っていい。
猪俣に出された指示は、抜かれた際のショックを少しでもやわらげ、平常心で走らせるための配慮であっただろう。
本人は、その指示をどう聞いたのか。
「自分でも勝てるなんて思ってませんでしたからね。なので、気負ってもなかったし、ある意味抜かれると思ってました。ただ、目安のタイムがあったので、それだけは守ろうと。確か、82分30秒以内だったと思います」
言うなれば、山をどう攻めるかではなく、山でどう凌ぐか、それこそが勝つために渡辺康幸監督が考えていたことだった。
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photograph by Takamitsu Mifune/AJPS