有力校がしのぎを削り、新興勢力も虎視眈々の箱根駅伝。各校を率いる監督の人となりも観戦の楽しみの一つだ。母校の指導者となって恩返しする往年のエースたち。ライバル校だが、監督同士は同期で仲が良いあの3校。あの大学を強くしたのは意外な古豪の人脈だった、等々。今回出場の指揮官20人の関係性を、一覧できる表にまとめた。(初出:Number1017号[相関マトリックス]世代と出身校で読み解く監督たちの“履歴書”。)
箱根駅伝の魅力のひとつは、色とりどりの襷、スクールカラーがあることだろう。強化についても、基本的には本番に向けての練習方法は門外不出で(今の時代は、SNSで横のつながりのある選手たちによって、半ばクラウド化されているが)、まさに大学対抗の趣がある。
監督に関しても純血主義を貫いている学校が多く、早大、中大、法大、順大は代々、卒業生が指導に当たってきた。
その流れに大きな変化が起きたのは、2度。1987年に箱根駅伝が日本テレビ系列で全国放送されるようになった前後と、世紀の替わり目に強化に乗り出した学校が増えたタイミングだ。しばらく箱根駅伝から遠ざかっていた学校の場合、実業団で実績を積んだ卒業生がいないので、他の学校のOBに指導を依頼することになる。
まず、'80年代から'90年代にかけては日体大と順大が「輸出元」になった。'80年代の日体大は監督不在の時期があり、学生たちの自治によって部が運営されていた。練習計画、区間配置まで部員が決めていたのである。この経験をもとに指導者への道に進んだのが、大後栄治(神奈川大)、別府健至(元日体大監督)、川嶋伸次(前東洋大監督)らの面々だ。大後氏はいう。
「私は箱根を走った経験はなく、主務でしたが、そのおかげで過去数十年、どんな練習計画が立てられてきたのか、書類、データをすべて見ることが出来たんです。あれは、お宝でしたね。日体大メソッドを応用して、神奈川大は'97年、'98年に連覇することが出来たわけです」
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