あの冬の箱根はとりわけ印象的だ。勝者ではなく、敗者が網膜に焼きついている。 うつろな目、半開きの口元。何度転んでも立ち上がり、前へ進もうとする姿――。彼らの襷はなぜ、つながらなかったのか。 途中棄権を余儀なくされた3人のランナーの、その後を追った。(初出:NumberDo 2012年12月発売号/再録:NumberPLUS<90回記念完全保存版>箱根駅伝[ノンフィクション]つながらなかった襷。)
夕闇迫るJR清水駅前の雑踏に、ジャージ姿のサラリーマンがすっくと立っている。
スリムな体型は現役当時のまま。山梨学院大学のエースとして鳴らした中村祐二も、すでに不惑の年を迎えているはずだった。
「今年で42です。学生の頃と比べて、むしろ体重は減ってます。52kgしかないんですよ。ちょっと肺を痛めましてね」
造船会社で総務課長を務める中村は、ややかすれた声で言った。
現役はとうに引退した。現在の会社は何度目かの転職先だ。会社更生法の適用を受け、経営再建のまっただ中にある。
苦労も多いはずだが、表情はむしろ明るい。「今なら何でも話せますよ」と笑う。
1996年、1月2日。往路4区を走る中村の右足に、どんな異変が生じていたのか。
社会人を経て大学に入り直した遅咲きのランナーは、その前年、イエテボリ世界選手権にマラソンの日本代表として出場していた。実力は図抜けていたはずだが、後続のランナーに次々と抜かれていく。実況アナが、思わず叫んだ。
「世界の中村が止まっています!」
衝撃の光景だった。
併走する車から飛び降りた上田誠仁監督が何度も説得を試みるが、中村は歩みを止めない。顔を苦痛にゆがめ、足を引きずるなど、もはやまともな状態でないことは誰の目にも明らかなのに。
順位は最下位にまで落ちた。天を仰ぎ、涙をこらえ、わななく膝を手で打って、それでも懸命に走ろうとするも、見かねた審判長がついにリタイアを勧告。12・4km過ぎで襷は途絶えた。
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photograph by Yuko Torisu