#1029
Special Feature
記事を
ブックマークする
「野村さんはキャッチコピーをつける名人」阪神タイガース“F1セブン”と『秘伝の書』《赤星、沖原ら俊足軍団の証言録》
2023/11/04
監督就任3年目の野村克也が売り出した俊足軍団。赤星憲広を筆頭に、その名は瞬く間に虎党に浸透した。名将は一体、どんな思いを込めていたのか。結成から20年。名付け親亡き今、急発進を命じられた3選手と腹心にその答えを尋ねた。(初出:Number1029号[俊足軍団の述懐] F1セブンとノムラの遺産)
野村克也が阪神タイガースの監督だった1999(平成11)年から'01年までヘッドコーチを務めた松井優典は言う。
「アレは単なる思いつきですよ」
あるいは、阪神時代に野村の下でプレーした沖原佳典も口をそろえる。
「アレは単なる語呂合わせから始まったもので、ただの思いつきだったものです」
松井、そして沖原がそれぞれ「思いつき」と言い、「アレ」と口にしたものは何か? 就任3年目であり、結果的に阪神監督の最終年となる'01年に突然誕生し、同年限りで自然消滅したムーブメント。それが「F1セブン」だった。沖原は続ける。
「あの年の阪神には足の速い若手選手がたくさんいました。そこで野村さんは僕らを売り出すために、そして相手チームに対して、“今年の阪神は足を使った野球をするぞ”というアピールを込めて、《F1セブン》と名づけたんです」
'01年2月6日、春季キャンプ練習終了後のことだった。野村は報道陣との間でこんなやり取りを残している。
「1号車に赤星(憲広)、2号車に藤本(敦士)、3号車に沖原。3号車までの選手には試合に出てもらいます。4号車には上坂(太一郎)、5号車に平下(晃司)、6号車に松田(匡司)、7号車に高波(文一)。これでお願いします」
このときのことを松井はよく覚えている。
「マスコミに向けて自軍の選手を大きく取り上げてもらったり、売り出したりするのも監督の大切な仕事です。野村さんはキャッチコピーをつける名人ですから、報道陣との話の流れから《F1セブン》というフレーズがたまたま生まれたんです」
特製トートバッグ付き!
「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています
photograph by SANKEI SHIMBUN