#1029
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「自分たちの負け犬根性が…」阪神タイガース“異分子”なくして日本一なし《川藤幸三、小林繁、岡田彰布…1985猛虎秘話》
2023/11/02
秋口の失速とお家騒動が定番だったダメ虎が、あの年、一つになって頂点まで駆け上がった。チームをまとめた主役たちの心にあったのは、2年前に引退していた反骨の右腕の存在だった。(初出:Number1029号 [猛虎旋風前夜]“異分子”なくして日本一なし。)
いくつもの山を乗り越えてきたはずだ。
しかしこの山こそ、目標への最大の難関となることを2人は理解していた。
「オイ、こんなチャンスが来とるのに、負けとってええんか?」
1985年8月17日……いや時計の針はすでに午前0時を回り、正確には8月18日となった深夜のことである。
広島市内のとある割烹に、川藤幸三の絞り出すような声が響いた。
この年の阪神は、4月17日の巨人戦で飛び出した甲子園球場バックスクリーン3連発の勢いのままに、開幕から首位争いを展開。前半戦を広島に3ゲーム差の2位でターンすると、球宴明けの3カードを6勝2敗1引き分けで乗り切り、8月6日からいわゆる“死のロード”に出ていた。
「やっている方としては、あの頃はまだそんなに強いっていう感じはなかったんよ」
岡田彰布はこう振り返る。
この夜、川藤と向かい合っていた相手の男である。
「それまでも5連敗とか6連敗もしていて、結構、危機的なときはあったからね。前半戦が好調だった入団1年目('80年)も、夏のロードで脱落した。何年間もそういう感じで落ちてきていたから、どうせ今年もこの夏のロードで落ちるんやろ、と」
確かにそれまでの阪神は、この“死のロード”で疲弊し、転落していくのが相場だった。しかしこの年は遠征初戦のヤクルト戦に3連勝すると、続く中日2連戦も連勝して5連勝で首位を奪取する好スタート。ところが巨人との3連戦のために東京に乗り込んだ8月12日、衝撃的なニュースがチームを襲ったのである。
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photograph by Yoshiki Nishiyama