2リーグ分裂後、阪神タイガースは5たび優勝した。オールドファンの特権というべきか、それぞれに思い出が残っているのだが、直近の―とはいっても16年も前のことだが―2005年優勝については、存外、記憶は薄く、“ヨロコビ度”もさほどのものではなかったように思う。
当時の記録などをひも解きつつ、薄れている記憶を呼び起こしてみると―。
監督は、いま「そらそうよ」の野球解説者として親しまれている(?)岡田彰布氏。こういってはナンだけれども、監督の手腕としては並みの人であったか。かえってそれで良かったのか、「そらそうよ」といっているうちに優勝してしまったという気配が残っている。
3、4番を打ったのがアンディー・シーツと金本知憲。広島カープからの移籍組で、両者が良き働きをするたびに、西の空に向かって感謝の頭を垂れたものだった。
5番が今岡誠。打点王となったが、この年に限っていえば実に頼もしき打者だった。甲子園で観戦していた日、レフトスタンドに軽々と放った一発を記憶する。
先発投手では、井川慶がエース格。下柳剛、安藤優也、福原忍あたりが主力であったが、ひょうひょうとした感じの下柳が勝ち星の稼ぎ頭となっている。
救援陣は強力だった。JFKと呼ばれた三枚看板がいて、ジェフ・ウィリアムス=37ホールド、藤川球児=46ホールド、久保田智之=27セーブと、それぞれ大車輪となって働いた。
近年、救援力が試合の行方を左右することは認識されてきたが、クローザー(セーブ)に焦点が集まりがちだった。そこへ、7回以降の1イニングずつを複数の投手が分担する方式が新しい流れとなり、救援陣の厚みが問われるようになっていく。
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