赤白ジャージが並みいる強豪を押し込み、崩していく。世界に衝撃を与え、称賛されたジャパンの推進力は、この男の経験に裏打ちされた理論と緻密な指導で創られた。選手が全幅の信頼を寄せる「慎さん」を直撃した。(初出:Number993・994号 [“スクラムドクター”が明かす]桜のスクラムが成就するまで。)
11月末までヤマハ発動機ジュビロのフランス合宿に加わった。帰国後の本インタビュー、コーチのいかつい顔が崩れた。
「ちやほやされてきました」
ジャパンのスクラムは、いまや伝統のスクラム大国でも称賛の的なのだ。
2011年1月。長谷川慎は単身、フランスへ飛んだ。自称、プータローの時代。ヤマハでプロの指導者として身を立てるための修業の旅だった。あれから約9年、いわば原点の地への凱旋は果たされた。
スクラムとはゲーム再開起点にして反則奪取の機会、さらに心のバトルの最前線でもある。優れた専門コーチはメカニズムを分解、再構築、パーツを選り分けては成功と失敗の根拠を摘出、ときに選手を理屈の外へ導いて感情の発露を推進力とさせる。
'16年秋の就任から世界8強へ。桜のスクラムはいかに完成したのか。語れるのは「スクラムドクター」のこの人物だけだ。
―道を歩いていたら『スクラムの人』と声がかかったとか。
「名前が出てこなかったらしく、あっ、スクラムの人。変わりましたね。選手がテレビに出演していると、普通のファンのように笑いながら家族と楽しんでいます」
―プロップが人気者になって。
「稲垣(啓太)が笑わない。比較されるんですよ。あれ、長谷川さんは笑うんですね。困ります」
―8強入りのおかげです。そこで、ジャパンのスクラムの構築について解説してもらえたらと。
「一言では難しいですね。いろいろなことがありましたから」
スクラム指導のエキスパートはいかなる経緯で誕生したのか。過去の取材ノートも参考にしながら軌跡をたどってみる。
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photograph by Naoyoshi Sueishi