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【絶対エースを追いつめた夏①】1984年8月20日<準決勝:金足農業 VS PL学園・桑田真澄>「3回までは全員にバントの構えを」
2023/08/09
無名の県立高校が、優勝候補の強豪私立を倒してしまう。格下チームが独自の戦法で、超高校級エースを攻略する。そんな番狂わせが起こるのも、甲子園の醍醐味の一つだ。'84年の桑田、'98年の松坂、'03年のダルビッシュ、'06年の田中。後にプロ野球で活躍する彼らと互角に渡り合ったチームの当事者に話を聞き、名勝負の舞台裏に迫った。(初出:Number809号[摑みかけた金星]絶対エースを追いつめた夏 1984 8月20日 準決勝 金足農業 VS 桑田真澄)
1984年の甲子園は北風が強かった。東北の高校が大活躍したのだ。まず、春の選抜では岩手の大船渡高校が準決勝まで進出し、ファンを驚かせた。初出場の県立高校がここまで健闘するとは予想外のことだった。
夏は秋田の番だった。予選を勝ち抜いた初出場の金足農業が初戦を突破すると、2回戦、3回戦、準々決勝と勝ち抜いて、準決勝まで勝ちあがったのだ。県立の、初出場の、しかも農業高校の野球部がそこまで行くとは大きな驚きだった。
「全く自信がなかったわけではありません」
当時の監督、嶋崎久美は振り返る。
「春の選抜に出て1勝していましたし、夏の予選も決勝では9回に2点差をひっくり返して勝っていた。だからある程度戦えるのではないかと」
だが、そんな自信も組み合わせ抽選で吹き飛んだ。1回戦の相手が名門の広島商業だったからだ。
「高校野球のシンボルみたいな学校ですからね。とても勝てるとは思えなかった」
対戦前、報道陣が集まり、双方の監督、選手から話を聞く。エースの水沢博文はそのときの様子を覚えている。
「集まった記者の8割は広島商業のほうに行っていましたね」
東北の初出場の農業高校への注目度は当然のように低かった。嶋崎が面白いエピソードを教えてくれた。
「校名はなんと読むんだという質問がけっこうありましたね。カナタリだとかキンソクだとか。大会本部は間違われないようにと校名の脇に振り仮名を振っていました。あんなことははじめてでしょう」
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photograph by Katsuro Okazawa