#834
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<KKとすれ違った男たち>佐々木主浩・長谷川滋利・上原晃と1985年の甲子園「桑田と清原は雲の上の存在で」

2023/08/23
佐々木(左)は'85年夏、長谷川(中)は'86年夏の甲子園大会でそれぞれエースとしてベスト8進出。上原も夏は3年連続の出場を果たした
桑田・清原の集大成となったあの夏の甲子園。惜しくもPLへの挑戦権を得られなかった高校の中に、後にプロ入りする名投手たちの若き日の姿があった。KKと交錯することのなかった、知られざる青春の軌跡を追う。(初出:Number836号 1985年夏、KKとすれ違って。 佐々木主浩/長谷川滋利/上原晃)

 有名な実況のフレーズにもあるが、あの夏の甲子園は、確かにKKのためにあった。

 1985年、夏。

 甲子園で躍動したのは、PL学園のユニフォームを着た、二人の高校3年生だ。

 4番を打っていた清原和博。

 エースの桑田真澄。

 1年生の夏に彗星の如く、甲子園へのデビューを果たし、いきなり全国制覇。以降、3度の甲子園で2度の準優勝、1度のベスト4。最後の夏に2度目の全国制覇を懸けて、PL学園は大阪大会を勝ち上がってきた。

 そして、PL学園は勝った。

 日本中の期待に応えて、甲子園で勝った。

 2回戦が初戦となったPL学園は、東海大山形を相手に毎回安打の毎回得点、32本のヒットで29点をもぎ取って、巨艦の船出を日本中に印象づけた。

 津久見との3回戦では、桑田が要所を締めての完封劇を演じる。準々決勝では清原が豪腕、中山裕章からレフトスタンドの中段へ豪快な一発を叩き込み、高知商との“事実上の決勝戦”を制した。

 準決勝の相手は、甲子園に旋風を巻き起こした甲西だった。相手の監督に「10点差(での負け)ならウチの勝ち」と言わしめたPLは、実際に13点差をつけて圧勝。予想通り、期待通り、狙い通りに、2度目の全国制覇まであと一つというところまで勝ち進んだ。

 迎えた、宇部商との決勝戦。

 2度もリードを許しながら、いずれも清原のホームランで追いつき、最後はサヨナラ勝ちという劇的な幕切れ。春夏あわせて5度の甲子園で13本のホームランを打った清原と、20勝を挙げた桑田の“KKコンビ”―その集大成となった1985年夏の甲子園は、清原と桑田のためにあったと言っていい。

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photograph by Katsuro Okazawa

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