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「1番じゃなく、2番で1番を追い続けた」天才打者・近藤健介、横浜高時代の“混迷の春”<東海大相模に挑んだ“最弱”世代>

2023/08/07
'10年神奈川県大会決勝、東海大相模に敗れて泣き崩れる横浜ベンチで一人遠くを見やる近藤
名門校で入学直後から定位置を獲得したものの、県内には大エースを擁し無敵を誇るライバルがいた。甲子園に辿り着く前に乗り越えるべき巨大な壁。谷間の時代を牽引した本人と盟友が振り返る。

 2010年、横浜高校野球部の部長だった小倉清一郎は、いつもの毒舌で部員たちをこき下ろした。

「こんなに負けるチームはねえよ。お前たちは史上最弱だ」

 前年秋に発足した新チームは、秋の神奈川県大会で初戦敗退。'10年春も3回戦で姿を消した。筒香嘉智という主砲の引退に伴って打線の破壊力は失われ、ずば抜けた投手がいるわけでもなかった。

 エースナンバーを背負っていたのは2年生右腕の齋藤健汰。その球を受けていたのが同じく2年生の捕手、近藤健介だった。

 現在は横浜市内で不動産会社に勤務する齋藤が言う。

「史上最弱と言われて気分はあんまり良くなかったけど、逆にプレッシャーを感じることなく、みんな、のびのびとプレーできたところはあったかもしれませんね」

 小倉は辛辣な言葉とは裏腹に、決してチームを見放してはいなかった。夏の大会を迎えるにあたり、敵チームを徹底的に分析。緻密なデータをバッテリーに託していた。

 それに基づく近藤のリードに、制球の良い齋藤が応える。ノーシードの横浜は1回戦から勝ち上がり、準々決勝では桐蔭学園に、準決勝では横浜隼人に逆転勝ち。試合のたびにまとまりと勢いを得て、ついに決勝の舞台までたどり着いた。

 だが、最後に越えるべき壁が高かった。

 記憶を手繰り寄せていた齋藤が苦笑する。

「相模は別格でしたね。相模がいなければって、ずっと思ってました」

 東海大相模。この時期、戦力の充実ぶりは頭抜けていた。前年秋の関東大会で優勝し、明治神宮大会では準優勝。4年ぶりのセンバツ出場も果たした。プロ注目の一二三慎太がエースを務め、打線に関しては「1番から9番まで全員強打者」(齋藤)。33年ぶりの夏の甲子園出場という悲願成就を目前にして、ナインの士気も高かった。

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photograph by NIKKAN SPORTS

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