宮川実はデビュー前から、10年にひとりの逸材と言われていた。1999年、17歳で迎えたデビュー戦は「初騎乗初勝利」。それから3年足らずで100勝に到達し、その後も順調に勝ち星を重ねた。高知競馬のリーディングジョッキー(年間最多勝騎手)は、5歳年上の赤岡修次が独走状態。その赤岡に次ぐ位置まで上がって来た宮川は、いずれリーディングを獲るだろうと言われていた。宮川の成長は、経営難にあえぐ高知競馬の希望でもあった。
海が好きで、サーフィンが得意。同業者から羨ましがられるほど優れたバランス感覚は、馬乗りのみならず波乗りでも発揮された。よく働き、よく遊んだ。27歳の若者は、充実した日々を送っていた。
2009年5月2日、ゴールデンウィーク開催の初日。高知競馬の第1レース。4コーナー、宮川の騎乗馬は「さあ先頭に立とうか」という局面で、脚を故障しガクンとよろめいた。宮川はダートコースに投げ出される。一瞬の出来事。勝負所でスピードを上げた後続馬の蹄は、宮川を避けることができなかった。
宮川を乗せた車は、いったん検量所の前に停止した。心配して駆けつける騎手仲間。のちに妻となる別府真衣は、血まみれで横たわる先輩を見て息をのんだ。外されたゴーグルやヘルメットに肉片がついている。真衣は「どうか命だけは助かってほしい」と願うしかなかった。
そんな状態でありながらも意識はあり、喋ることもできた。宮川は青ざめる仲間たちに向かって、「大丈夫、大丈夫。次のレースも乗るき」と言った。
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