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<WBC日本代表選手、最多“出身高校”は横浜と…あとはどこ?>侍ジャパンと甲子園の“不思議”な関係[WBC第1~4回を徹底分析]

2023/08/07
WBC日本代表に選ばれるような選手たちはさぞかし、甲子園でも活躍したのだろうと思いきや、実はそうでもない。第1回から第5回まで、代表選手の高校時代をまとめてみた。

 8人。

 第5回WBC日本代表に選出された32選手(辞退した鈴木誠也、途中離脱の栗林良吏も含む)のうち、高校時代も日本代表に選ばれていた選手の数である。高校ですでに日の丸を背負っていた彼らは、当時から出色のパフォーマンスを披露していた。

 特筆すべきは、東北のダルビッシュ有だ。2年生だった2003年春からエースを務め、同年夏の甲子園で準優勝に貢献。3年のセンバツ初戦ではノーヒットノーランを達成している。

 高校時代から「二刀流」として脚光を浴びていた花巻東の大谷翔平は、3年のセンバツで大阪桐蔭・藤浪晋太郎からホームランを放つなど、高校通算56本塁打。ピッチングでは、3年夏の岩手大会準決勝で当時の高校生最速となる160kmを記録し、高校球界を席巻した。

 大谷は2年夏と3年春の2度、出場した甲子園で、投手として2試合で14回1/3、14奪三振、防御率3.77、打者として6打数2安打3打点という成績を残した。

Bungeishunju
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 記録と言えば、桐光学園の松井裕樹の偉業も色褪せない。2年生エースとして出場した'12年夏の甲子園、初戦の今治西戦で大会新記録の22奪三振をマーク。この夏は4試合に登板し、68奪三振と量産した。

 8人のなかで甲子園に出場したことがない選手は、大船渡の佐々木朗希だけだが、大谷の160kmを上回る「高校生最速」の163kmは、非公式ながら今も鮮烈な記録として残る。

 佐々木と同学年の興南・宮城大弥は、1年夏に甲子園デビュー。2年夏には背番号「7」で全国の舞台に立ち、2回戦では左翼手→投手→左翼手→投手とフレキシブルにマウンドに上がった。甲子園通算では投手として3試合で9回2/3、7奪三振、防御率4.66、打者として8打数3安打と投打に活躍。その柔軟性が評価され、3年夏は甲子園出場を逃すも、高校日本代表入りした。

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