1980年代の川藤幸三、'90年代の真弓明信、'00年代の八木裕、そして'10年代の桧山進次郎。阪神には各時代を象徴する、とっておきの代打がいた。納得できないベンチの指示には公然と反旗をひるがえし、研ぎ澄まされた勝負勘と磨き上げた熟練技でヒットを積み重ねる。余計なものを削ぎ落とし、バット一本に野球人生を懸けた切り札たちの目に映った、阪神の監督とは――。
'13年のクライマックスシリーズ、対広島戦での劇的な代打本塁打で現役最終打席を飾った桧山進次郎は、阪神の酸いも甘いも噛み分けた男だ。“暗黒時代”と揶揄された低迷期に新人時代を過ごし、2度のリーグ優勝では主力として活躍、そして晩年は“代打の神様”と呼ばれ、惜しまれつつグラウンドを去るまでの現役生活22年間、桧山は8人の監督のもとでプレーした。
「代打としての素地をつくったのは野村克也監督の時代だったかもしれません。野村監督が就任した'99年は、入団8年目のシーズンで体力的にはいちばん充実していた時期。ライトは自分のものだという自負がありました。しかし、思いとは裏腹にスタメンを外されることが多くなり、ベンチを温める試合が増えてしまった。レギュラーを取り戻すには何が足りないのか、試行錯誤してみても結果は出ない」
ダグアウトでくすぶっていると、野村監督のボヤキ節が否が応でも耳に入ってきた。これが道を開くヒントとなる。
「『直球を待つにしても、上から打つ、バットを短く持つ、ポイントを前に置く――二段構え、三段構えで備える。それができていないから、一球で仕留められんのや』と、まるで講義の時間です(笑)。投手心理、打者心理、相手ベンチの作戦分析……グラウンドに立っていたら聞くことができない、勉強になる金言ばかり。これこそが“考える野球”なのかと、新しい野球観を養うことができた時期でしたね」
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