7回、8回、9回を一人ずつで締める――。いまでは当たり前の継投策は、'05年に岡田彰布が作り上げた。しかしこの戦術が名前を得て、浸透していく背景には様々な男たちの思惑とドラマが隠されていた。
日付が変わろうとしていた。
東京・築地の日刊スポーツ新聞社編集局。'05年7月10日の深夜、整理部の松岡耕作は机の前で逡巡していた。夜10時を過ぎてから、急きょナゴヤドームで行われた中日対阪神戦のレイアウトを見ることになり、目の前に2つの語句を書いて並べていた。
「豪速球」「JFK」
昼間、阪神が2-0で中日を下していた。整理部は現場から送られてくる原稿と写真を並べて紙面を作るのが仕事。中でも、目を引く見出しをつけるのが腕の見せどころだ。すでに完封リレーを伝える短い記事3本は届いていた。守護神の久保田智之が6連戦で5セーブを挙げ、藤川球児の3者凡退、ジェフ・ウィリアムスの3者連続空振り三振。この継投は首位を快走するチームの原動力なのに、名前がまだない。松岡は紙面を組む部員に相談した。
「見出し、何とかしたいね。ちょっと考えるから」
午前0時を過ぎれば、製作終了を示す降版がやってくる。松岡の脳裏を2つの語句が行きつ戻りつした。
剛腕トリオは日を追うごとに役割分担が明確になり、敵を寄せつけなかった。「火の玉ストレート」の藤川が7回に流れを引き寄せ、切れ味鋭いスライダーを誇るウィリアムスが8回を抑えて追いつめる。9回を締めるのは、重量感のある速球を投げ込む久保田だ。3人がそろい踏みした試合は、この日で15連勝。松岡には焦燥感があった。
〈見出しをつけないといけないな。他社は何紙も3人のリレーにネーミングしてるしな〉
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photograph by JIJI PRESS