#1074
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「我慢、辛抱、忍耐がないと務まらない。でも今は…」和田豊が語る“阪神監督”への愛と後悔【鳴尾浜から虎を強くする】

2023/06/03
縦じま一筋で通してきた男には信念があった。それは、どんな形であれタイガースに貢献すること。艱難辛苦も味わった一軍監督時代を経て、今年からファームで若虎たちと輝く未来を作り上げる。

 断続的に小雨が降り注ぐ中、和田豊は傘も差さずに颯爽と大股で現れた。二軍戦を終えたばかりの阪神鳴尾浜球場。若い虎番記者たちを屋根のある球団施設玄関前へ誘導すると、丁寧に受け答えを開始した。スッと伸びた背筋も、膨らみのない腹回りも、8年前とほぼ変わらない。唯一違いを探し出すとすれば、それは内面だろうか。

「若い選手の成長を見るのは楽しいよ。この前できなかったことができるようになったやんって。孫がゼロの状態からハイハイしたり立ったり……。一緒にしたらおかしいけど、そんな喜びに近いモノもあってね。つい最近も小野寺暖が一軍で3番で使ってもらってヒットまで打った。これが二軍監督の醍醐味、喜びなんだろうね」

 60歳。孫はもう5人いるらしい。最後に一軍で指揮を執った'15年と比べると、表情には幾分穏やかさが増したようにも映る。

「いつまでネクタイしとんねん」

 '22年秋、5歳上の岡田彰布から突然電話がかかってきた。先輩は15年ぶりの阪神一軍監督再登板が決まったところだった。第1次岡田政権時は'05年に打撃コーチとしてセ・リーグ制覇の美酒に酔いしれた。'08年は内野守備走塁コーチとして歴史的大失速によるV逸に泣いた。苦楽を共にした男から届いた二軍監督就任の打診。自分でも驚くほど感情が高ぶった。

「そこは背広を着ていた7年が大きかったかな。スカウトの仕事も手伝わせてもらって、今二軍にいるのはアマチュア時代から見てきた選手ばかり。彼らを成長させていくのも面白いなって思ったんだよね」

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photograph by Kiichi Matsumoto
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