'15年以降のジャパンの大躍進を牽引してきた不動のリーダーは、その統率力をいかに身につけたのか。代表デビュー時の主将に話を聞き、誰よりも日本を愛する男が持つリーダーシップの“原点”に迫った。(初出:Number1020号リーチ マイケル「継承されるキャプテンシー」~統率力の源流を辿って~)
あそこがターニングポイントだったな。
振り返ると気づくときがある。歴史の変わり目。ラグビー日本代表にとっては、2008年がそういうときだった。
'03年、'07年とワールドカップ(W杯)2大会で主将を務めた箕内拓郎が、この年のパシフィックネーションズカップ(PNC)最終戦、サモア戦で負傷退場。これが代表でのラストマッチになった。前年のW杯カナダ戦の同点コンバージョンキックでヒーローになった大西将太郎も、同じサモア戦が最後の代表ジャージーとなった。
箕内や大西が、当時の日本代表にとっては年間最大のターゲットだったPNCを戦っていたころ、ウェールズで開かれていたジュニア世界選手権で厳しい戦いに臨んでいたのがU20日本代表だった。日本はフランスとの初戦から、ウェールズ、イタリア、トンガに立て続けに敗れ、最終戦の相手は米国。最下位になれば翌年は下部大会に転落する。その崖っ縁で日本は44-8で勝った。
「絶対に負けられない試合でした。負けたら、来年日本で大会ができなくなるから」
最終戦から3日後、帰国した成田空港でそう言ったのはU20のキャプテン、19歳の東海大学2年生だったマイケル・リーチだ。翌年の同大会は日本開催。だが肝心のホスト国が出場資格を失っては話にならない。自分たちの勝ち負けだけではすまないものを背負った戦いだったのだ。
「今のペースでいけば、日本もいいところへ行ける」
そして19歳のリーチは、U20のカテゴリーで世界と戦った感想をこう話した。
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photograph by Takuya Sugiyama