プロ野球PRESSBACK NUMBER

「2年目の終わりにはクビかなと思いました」東大卒左腕・宮台康平が日ハムで痛感した“レベルの違い”「動物として強いな、って…」埋まらなかった体力差 

text by

松永多佳倫

松永多佳倫Takarin Matsunaga

PROFILE

photograph byHideki Sugiyama

posted2026/10/30 12:01

「2年目の終わりにはクビかなと思いました」東大卒左腕・宮台康平が日ハムで痛感した“レベルの違い”「動物として強いな、って…」埋まらなかった体力差<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

日本ハムで“プロの壁”に直面したと語る宮台康平さん。最大の違いは埋めがたい体力差だった

育成契約を打診されトライアウト受験を決意

 3年目のシーズン終盤になると若い高卒の選手に先発のチャンスを与えるため、二軍内でも宮台の序列は落ちていた。ロングの中継ぎに配置転換され、だんだんと首元が涼しくなっていく。

「察した通りに自由契約となって育成契約を打診されました。『トライアウトを受けたいです』と話すと『では、育成契約はそれまで待ちましょう』と言ってもらい、それがすごくありがたかったですね。でも正直、球団側から“育成”と言われた時点で迷いました。育成が現時点での評価だとして、それを覆すだけの成長が来年にあるのか。そう問われたら自信を持ってイエスと言えなかったですね。就職もうっすらと頭に浮かびました。僕が今までやってきた3年間を生かすとしたら、別の自由職、自分の名前でできる仕事がいいだろうと。そこで初めて法曹もあり得るかなと思って、先輩の弁護士の先生にお話を聞いたりしました」

 宮台は逡巡した。自分に見切りをつけることは簡単だが、環境を変えることで飛躍的な成長を遂げる選手がいるのも確かだ。日ハムでの3年間は、忸怩たる思いと悔しさだけが残った。もう一度チャンスをつかむためには挑戦するしかない。

ADVERTISEMENT

 そうして宮台は、トライアウト受験を決意する。

<続く>

#3に続く
「自分自身でクビを宣告していた」ヤクルト移籍も“最後の一軍登板”で炎上「これで終わりか…」東大法学部卒・宮台康平が“プロ野球選手を諦めた日”
この連載の一覧を見る(#1〜4)

関連記事

チェックを入れてボタンを押すだけ
Google検索
Number Webを見つけやすくする
BACK 1 2 3 4
#宮台康平
#東京大学
#北海道日本ハムファイターズ
#東京ヤクルトスワローズ
#中田翔
#柿木蓮
#吉田輝星

プロ野球の前後の記事

ページトップ