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「もう二度と、スワローズと関わりたくない」高津臣吾が味わった絶望…古田敦也も絶句「この人は何を言っているんだ」「敬意、感謝はないのか…」
posted2026/10/09 06:01
2007年、古田敦也選手兼監督(左)の引退試合でバッテリーを組んだ高津臣吾
text by

高津臣吾Shingo Takatsu
photograph by
Hideki Sugiyama
最優秀救援投手4回、日米通算313セーブ……。サイドスローから繰り出すシンカーを武器に、ヤクルトの守護神として君臨した高津臣吾。2020年からは監督を務め、21、22年にセ・リーグ連覇、21年には日本一に輝いた。ただ、一時は完全に「絶縁」を決め込むほど、球団との間には深い溝があった。今だから話せる真実とは……。著書『愛と哀しみのスワローズ』(KADOKAWA)から一部抜粋し、ご紹介する。※名前の「高」は「髙(はしごだか)」《全3回の2回目/1回目、3回目も公開中》
2007年は、「とにかくよく打たれた」という印象が強い。
常にランナーを背負い、ピンチの連続で投げていた気がする。原因を考えれば、スピードもキレも落ちていたのだろう。そうなるとストライクとボールがはっきりしてしまい、甘いコースを狙い撃ちされる。
風呂場で骨折…医師の秋田弁に困惑「コントのような」
30代後半という年齢もあり、身体の衰えを少しずつ自覚し始めていた時期だった。それまで勤続疲労を意識したことはなかったけれど、パフォーマンスが落ちてきている事実は否定できなかった。
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そんな中で起きたのが、今でも忘れられない「風呂場での骨折」だ。
秋田遠征の際、宿泊先の風呂場で足を滑らせ、左足の親指を床に強打して剥離骨折をしてしまった。すぐに地元の救急病院へ向かったが、診察してくれたおじいちゃん先生の秋田弁がまったく理解できず、コントのような状況になった。
本当に何を言っているのかまったく理解できないのだ(笑)。同行した青森出身のトレーナーが「通訳」をしてくれたのだけど、「えっ、本当にそんなこと言ってる?」と何度も確認して、ようやく自分が骨折していると理解できたほどだ。

