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「金沢の町から人がいなくなった」“高校野球史上最高の試合”死闘の結末で何が起きたか…星稜の名将は「自分の器の小ささがよくわかりました」 

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元永知宏

元永知宏Tomohiro Motonaga

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photograph bySankei Shimbun

posted2026/09/09 11:05

「金沢の町から人がいなくなった」“高校野球史上最高の試合”死闘の結末で何が起きたか…星稜の名将は「自分の器の小ささがよくわかりました」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

1979年、箕島に星稜が挑んだ一戦は延長にもつれこみ、次々と思いもよらないプレーが出る

「うちのほうがヒット数は多かった。それでも負けたんだから、監督の差でしょうね」

 星稜が攻め、箕島が追いつくという展開。最後の最後で勝利を手にしたセンバツ王者の指揮官には試合中、ずっと笑顔があった。エラーが出ても“尾藤スマイル”だった。

山下が尾藤スマイルから学んだこと

「あの試合、監督と監督との戦いでもありました。ベンチにいる尾藤(公)さんの表情が見えるんですけど、ピンチでも笑っていましたね。そのことに驚きました。

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 普段の練習や練習試合ではそんなことはありません。笑顔なんかひとつもない。怒ってばっかりですよ。厳しさでは僕よりも全然上です。でも、甲子園では“尾藤スマイル”なんですよね。尾藤さんはミスを許すことができる、度量の大きな監督でした」

 箕島に敗れ、尾藤の大きさを思い知らされた山下は自分を変えることを決意する。

「あの試合で、それを見て、自分の器の小ささがよくわかりました。どうして笑うことができるのか——それを考え、研究し続けました。自宅の玄関に大きな姿見を置いて、登校前に10分間、帰宅してから10分間、自分自身とにらめっこをしました。今日のネクタイはどうだろう? 明日は生徒にもらったネクタイで行こうと考えるようにもなりました」

 さまざまな種類の本を読み、人の話をよく聞くようにもなった。

「それまでの自分では勝てないと思いいたりました。お医者さんが勉強会を開いてくれたり、経営者の集まりに呼んでもらったり。『これを読んでみたら』と勧められた本を読みました。そうすることで少しずつ成長できたと思います」

 自分の成長を実感したことで、生徒との関わりにも変化が生まれた。

「自信がついてきて、自分の心がわかるようになりました。生徒はいつも監督の顔色を見ています。その生徒の表情から、心のなかを覗けるようになったんですね」

 あの敗北は山下にとって新しいスタート。星稜が次のステップに上がるきっかけにもなったのだ。

つづく

#26に続く
「延長18回と5連続敬遠」の共通点…星稜・山下智茂監督が81歳の今も心に秘める教訓「もしあの試合に勝っていたら、天狗になってクビだったかも」
この連載の一覧を見る(#1〜26)
#26
「延長18回と5連続敬遠」の共通点…星稜・山下智茂監督が81歳の今も心に秘める教訓「もしあの試合に勝っていたら、天狗になってクビだったかも」
#25
「金沢の町から人がいなくなった」“高校野球史上最高の試合”死闘の結末で何が起きたか…星稜の名将は「自分の器の小ささがよくわかりました」
#24
「野球観、人生観を変えてくれた」箕島との“延長18回”を星稜・山下智茂監督はどう戦ったか…サヨナラ危機で出た奇跡のプレーに「私もびっくり」
#23
「部員8人で甲子園? とバカにされて」山下智茂が名門・星稜を築きあげるまで「生徒にトイレへ呼び出されて、スパルタの仕返しかと覚悟したら…」
#22
春夏連覇で「天狗になっていた。社会人で鍛えられました」伝説の“延長18回”投げぬいた石井毅のいま「箕島と星稜の縁はほんまにありがたい」
#21
「あの試合が終わって『夏も優勝しようや』と」高校野球“史上最高の試合”箕島-星稜延長18回の死闘で起きたこと「星稜の思いに報いたい」
#20
「水分補給もして、ドクターもいた」ど根性野球の昭和に甲子園連覇した公立高の“先進性”「県大会は勝って当然…校歌をちゃんと歌え、とクレームも」
#19
「小さな町で、近所の子どもが集まったような野球部」箕島はなぜ70年代屈指の強豪校になったか「尾藤公さんが監督になってすべてが始まった」
#18
「甲子園に出るのは当たり前」史上唯一の“春夏連覇”公立高ナインはセンバツ優勝にも「あくまで淡々と…キャーキャー言われて少し天狗だったかも」
#17
甲子園「史上最強の公立高」箕島はいかに1979年“春夏連覇”を成し遂げたか…前年「せいぜいC評価」からの成長のワケをエースが語る
#16
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