甲子園の風BACK NUMBER
「金沢の町から人がいなくなった」“高校野球史上最高の試合”死闘の結末で何が起きたか…星稜の名将は「自分の器の小ささがよくわかりました」
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元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph bySankei Shimbun
posted2026/09/09 11:05
1979年、箕島に星稜が挑んだ一戦は延長にもつれこみ、次々と思いもよらないプレーが出る
「猛練習で鍛えてきたといっても、選手たちにもう体力はありません。ギリギリの状態で戦っていましたから。この回、堅田のボールは浮いていましたね」
先頭打者に続き、一死後にこの日ノーヒットの北野にもフォアボールを与えた。ワンアウト一、二塁から五番の上野の打球はショートの頭を越え、二塁走者がホームにヘッドスライディング。4時間近い激闘に幕が下ろされた。
「負けたか……というよりも、生徒がよく頑張ったと思いました。選手たちをほめてやりたい、抱きしめてやりたいというのが、試合後の僕の第一声でした」
エースと心中する気持だった
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この試合のテレビ視聴率は29.4パーセントだった。
「あとで聞いたことですけど、その時間帯、金沢の町に人がいなかったらしいです。ちょうどお盆やったんですけど、盆踊りで集まった人たちも途中でやめてテレビを見に帰ったという」
これほどの極限の戦いに、もう作戦はなかった。
「堅田と心中する気持ちでした。18回裏に伝令を出して僕の指示を伝えようとしたんです。僕はいつも紙にメッセージを書いて、伝令に持たせる。この時は、『悔いのないように投げろよ』というメモを渡した。それを読めば、少しは落ち着いてくれるだろうと思って。ところが堅田はもう疲れ切ってしまって、それを読むことができなかったそうです。死力を振り絞って投げたということです」
両エースともに最後までマウンドを守り抜いた。石井の投球数は257、19安打を打たれたものの(すべてシングルヒット)、16三振を奪い、3点しか許さなかった。
堅田の投球数は208。被安打は12(うち2本塁打)だった。

