甲子園の風BACK NUMBER

春夏連覇で「天狗になっていた。社会人で鍛えられました」伝説の“延長18回”投げぬいた石井毅のいま「箕島と星稜の縁はほんまにありがたい」 

text by

元永知宏

元永知宏Tomohiro Motonaga

PROFILE

photograph byJIJI PRESS

posted2026/08/27 06:03

春夏連覇で「天狗になっていた。社会人で鍛えられました」伝説の“延長18回”投げぬいた石井毅のいま「箕島と星稜の縁はほんまにありがたい」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

春夏連覇を果たした箕島から社会人、プロへと進んだエースの石井毅。星稜の好敵手たちとは今も縁が続いているという

 そのあとに金沢で試合が行われ、最後の対戦は甲子園球場で実現することになった。

「あの試合をきっかけにして、箕島のある有田市と星稜のある金沢市でスポーツ交流が生まれました。それは今でも続いています」

 2003(平成15)年に和歌山野球振興会・夢クラブを設立した。2014年には第2回IBAF 15Uワールドカップの日本代表コーチをつとめた。現在、石井は少年野球の指導を行っている。

ADVERTISEMENT

「中体連の軟式野球のクラブチームを指導しているんです。5月には星稜中学に行ってきました。星稜中は全国優勝するほどの強豪ですからね。僕が指導している子たちにも見せたいと思いまして」

今も続く両校の縁

 石井の恩師である尾藤公は2011年に病で世を去ったが、星稜の山下智茂は80歳を過ぎた今も、高校野球の指導を行っている。

「以前、星稜中に行った時に山下さんが来てくれましたし、星稜の山下靖や加藤直樹たちと石川県で野球教室をした時にも顔を出してくれました。僕たちが話すことを全部メモしているんですよ。何でも吸収してやろうという気持ちがすごいと思いました」

 箕島が最後に甲子園に出場したのは2013年夏。それ以来、あのユニフォームを聖地で見ることができていない。一方の星稜は甲子園常連校として地歩を固め、奥川恭伸、内山壮真(ともに東京ヤクルトスワローズ)など多くの選手をプロ野球に送り出している。

「星稜は箕島に負けたあと、強いチームになりました。松井秀喜くん(読売ジャイアンツなど)をはじめ、いい選手をたくさん育ててきました」

 夏の甲子園の100回記念大会となった2018年、功績のある元球児による「甲子園レジェンド始球式」が行われ、大会初日の松井秀喜に続き、2日目に石井が登場した。見事なストライクを投げ込み、観衆から大きな拍手を受けた。

「箕島と星稜との縁がいまだに続いていることはほんまにありがたいことだと思っています」

 マウンドに立った石井のすぐそばにはアテンド役として、球審をつとめる星稜の元エース、堅田外司昭の姿があった——。

〈つづく/次回掲載をお楽しみに〉

#1から読む
1979年「実は僕も江川卓のトレード候補だった」“空白の一日”を巨人の左腕エースはどう見ていたのか「江川本人が気づくわけないんだから」
この連載の一覧を見る(#1〜22)
#22
春夏連覇で「天狗になっていた。社会人で鍛えられました」伝説の“延長18回”投げぬいた石井毅のいま「箕島と星稜の縁はほんまにありがたい」
#21
「あの試合が終わって『夏も優勝しようや』と」高校野球“史上最高の試合”箕島-星稜延長18回の死闘で起きたこと「星稜の思いに報いたい」
#20
「水分補給もして、ドクターもいた」ど根性野球の昭和に甲子園連覇した公立高の“先進性”「県大会は勝って当然…校歌をちゃんと歌え、とクレームも」
#19
「小さな町で、近所の子どもが集まったような野球部」箕島はなぜ70年代屈指の強豪校になったか「尾藤公さんが監督になってすべてが始まった」
#18
「甲子園に出るのは当たり前」史上唯一の“春夏連覇”公立高ナインはセンバツ優勝にも「あくまで淡々と…キャーキャー言われて少し天狗だったかも」
#17
甲子園「史上最強の公立高」箕島はいかに1979年“春夏連覇”を成し遂げたか…前年「せいぜいC評価」からの成長のワケをエースが語る
#16
「小林繁さんが『40万円くらいでガタガタ言うな!』と」若菜嘉晴が阪神で学んだ“人生勉強”「小林さんの人生はネトフリでドラマにできますよ」
#15
阪神で「小林繁さんは孤独だった」正捕手・若菜嘉晴が語る“わずか30歳で引退”の原因とは「野球というより、人生に疲れていたんじゃないか」
#14
江川卓対小林繁は「1年目なら違う結果だった」若菜嘉晴が思い起こす“因縁の対決”と阪神での成長「江本孟紀さんはノーサインで投げてきて…」
#13
「小林繁さんはモテますよ。本当に卑怯だなと(笑)」女房役・若菜嘉晴が見た阪神“小林フィーバー”の日々「仲間も小林に勝たせたい、と奮起して」
#12
「年俸が安くて、オフにはバイトしていた」若手捕手が大選手・田淵幸一と交換で阪神入り…「ビール瓶が飛ぶ球場」から甲子園で受けた衝撃
#11
「阪神には歴史はあっても伝統がない」故・小林繁が生前に語った“巨人-阪神論”とは「この球団では勝てない。だから僕は引退した」
#10
江川卓とのトレードで「阪神に入って涙が出た」23年前に生前の小林繁が語っていたこと…「巨人を出されたのが、不思議でしょうがないよ」
#9
「あのとき、江川さんは初めて努力をしたんじゃないか」永遠のライバル・西本聖が語る“地獄の伊東キャンプ”「最後も巨人で…感謝しています」
#8
「勝手をするな!」「ダメになったら責任取ってくれるんですか」西本聖が球界初の“独自調整”を貫いたワケと、伝説の「足上げフォーム」誕生秘話
#7
「ニシ、19勝じゃダメだ。20勝すれば世界が変わる」西本聖を甦らせた江川卓の言葉の真意とは?「俺はやったぞ、お前はできるのか、と…」
#6
「江川さん、キャッチボールしましょうか」孤独な江川卓に声をかけた西本聖…永遠のライバルの本当の関係性とは「誘いあってゴルフにも行った」
#5
「自分の中で、ライバルは江川卓と決めました」非エリート・西本聖の“永遠のライバル”が入団した日…「僕もトレード候補だった、と聞いた」
#4
江川卓の初勝利をサポートも「礼を言われた記憶はないなあ」新浦壽夫が見た“江川−小林繁トレード”のすべて「二人とも愚痴は言わず…立派だったよ」
#3
「江川卓をエースにする」長嶋茂雄監督の苦難の時代を支えた左腕・新浦壽夫はなぜ江川のサポートに?「長嶋さんの“巨人のエース”のイメージは…」
#2
「エースを作るから、江川卓のケツについてくれ」長嶋茂雄監督の命令に呆然…当事者が振り返る江川トレード事件「俺がエースじゃないのかよ!?」
#1
1979年「実は僕も江川卓のトレード候補だった」“空白の一日”を巨人の左腕エースはどう見ていたのか「江川本人が気づくわけないんだから」

関連記事

チェックを入れてボタンを押すだけ
Google検索
Number Webを見つけやすくする
BACK 1 2 3
#箕島高校
#石井毅
#嶋田宗彦
#星稜高校
#尾藤公
#山下智茂
#堅田外司昭

高校野球の前後の記事

ページトップ