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春夏連覇で「天狗になっていた。社会人で鍛えられました」伝説の“延長18回”投げぬいた石井毅のいま「箕島と星稜の縁はほんまにありがたい」 

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元永知宏

元永知宏Tomohiro Motonaga

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photograph byJIJI PRESS

posted2026/08/27 06:03

春夏連覇で「天狗になっていた。社会人で鍛えられました」伝説の“延長18回”投げぬいた石井毅のいま「箕島と星稜の縁はほんまにありがたい」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

春夏連覇を果たした箕島から社会人、プロへと進んだエースの石井毅。星稜の好敵手たちとは今も縁が続いているという

「ありがたいことに、どんどん試合で使ってもらいました。チームが目指すのは都市対抗の優勝。そこに向かってやっていました。自分の野球人生を振り返った時、住友金属に入ったことがプラスになったと思います。聞いていた以上に厳しい野球部で、人間的なところを鍛えてもらいました」

 あくまで本業が社業である社会人野球であれば、求められるのは野球の技術だけではない。

「高校時代に春夏連覇をして、天下を取ったような気持ちでいましたから、きっと天狗になっていたと思う。先輩方が本当に厳しく接してくれました。社会人1年生として何をやるべきか、やってはいけないことは何かを教えてもらって本当にありがたかったですね。

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 時には『なんでそんなこと言われるの……』ということもありましたが、のちのち、言葉の意味に気がつきました。チームメイトも、会社の人たちもそう。だから、今の自分があるんだと思います」

 1982年に都市対抗野球で初優勝。4勝を挙げた石井は、最優秀選手賞に当たる橋戸賞を獲得し、その秋のドラフト会議で西武ライオンズから3位指名を受けた。

 黄金時代の西武で1988年までプロ野球でプレーした。1986年には42試合に登板、5勝1敗2セーブを記録してチームの連覇に貢献した。

星稜と箕島、OBたちの再会

「プロでもプレーしましたけど、社会人時代の経験が僕には大きかった。松永さん、山中正竹さん(法政大学時代に歴代最多の48勝をマーク)との出会いもそうです。あの星稜戦で球審をされていた永野元玄さんも住友金属OBなんですよ。人の縁に恵まれ、先輩方にいろいろなことを教えていただきました。

 誘惑に負けることなく、仕事をきちんとやったうえで野球に全力で取り組む。寮の名前が『克己寮』というんですけど、『己に克つ』ということの意味を知りました」

 携帯電話もSNSもない時代、箕島と星稜の選手たちが再会したのは、石井がプロ野球を引退したあとだった。

「地元の和歌山に戻ってからラジオ番組に呼ばれる機会があって、『箕島-星稜戦をまたやりましょう』という話になりました。和歌山放送が後援してくれて、あの時のメンバーが箕島で集まることになりました」

【次ページ】 今も続く両校の縁

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