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「もし松井秀喜と対戦したら?」「絶対に敬遠しない」あの夏の優勝投手は言った…伝説的エースの告白「“森尾世代”ではなく“松井世代”でいいんです」

posted2026/08/19 11:41

 
「もし松井秀喜と対戦したら?」「絶対に敬遠しない」あの夏の優勝投手は言った…伝説的エースの告白「“森尾世代”ではなく“松井世代”でいいんです」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

星稜・松井秀喜への「5打席連続敬遠」で揺れた1992年夏の甲子園。頂点に立ったのは鉄腕・森尾和貴を擁する西日本短大附だった

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松永多佳倫

松永多佳倫Takarin Matsunaga

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松井秀喜への5打席連続敬遠で甲子園が揺れた1992年の夏、最後までマウンドに立っていたのは西日本短大附の森尾和貴だった。全5試合を完投し4完封、防御率は0.20。「甲子園史上最高の投手」のひとりに数えられる森尾は、なぜプロ野球に進まなかったのか。“消えた天才”とも呼ばれる森尾の、知られざる「それからの物語」を追った。(全4回の2回目/文中敬称略)

◆◆◆

 大会5日目の8月14日、富山代表の高岡商業を2対0で退けた西日本短大附ナインは手応えを感じていた。最高の形で初戦を突破した2日後の16日、午前の練習を終え、宿舎で昼食を済ませた後のことだった。テレビをつけると、星稜と明徳義塾による2回戦が始まっていた。

 森尾和貴は、このときの光景をうっすらと覚えている。この大会の注目選手は星稜の松井秀喜と、帝京の三澤興一の2人だった。その記憶だけは強烈に焼き付いているのだ。

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「甲子園練習では、僕らの前がセンバツ優勝、三澤のいる帝京でした。とにかく報道陣の数が尋常じゃない。僕らの番になると、潮が引くようにサーッといなくなりました。開会式に行くと、星稜の松井がいる。彼は1年夏から甲子園で四番を打っていましたが、名前を知ったのは2年の夏です。3年春のセンバツで、ラッキーゾーンがなくなってもホームランを3本打っていた。すげえな、当たりたくねえな。そんなことを思ってましたね」 

 森尾の言う通り、ラッキーゾーンが撤廃された3年春のセンバツで3本のホームランを打った松井は、92年夏の甲子園でも主役として圧倒的な存在感を放っていた。

「もし松井と対戦したら?」「絶対に敬遠はしない」

 大会7日目の第3試合。松井を擁する星稜は、36歳の馬淵史郎が率いる明徳義塾と対戦する。三澤のいる帝京が早々に尽誠学園に敗れてしまったため、ファンやメディアの視線は“真打”の松井に集中していた。

 そしてこの試合で、まさかの出来事が起こる。

 松井への「5打席連続敬遠」だ。結局、この前代未聞の敬遠策によって、明徳義塾が3対2で星稜に勝利した。

「敬遠で負けた、という感じでしたね。試合後にチーム内も少しざわつきました。『森尾やったらどうする?』『もし松井と対戦したら?』と聞かれて、『いやいや、打たれるのも思い出だから。絶対敬遠とかしないよね』って話をしたのが、ちょっと記憶にあります。打たれれば『あの松井に打たれた』って思い出になるし、抑えたら抑えたで自慢になりますから」

 帝京が1回戦で負け「チャンスだ」と感じていた西日本短大附の選手たちも、さすがに5打席連続敬遠をテレビ観戦していて心中穏やかではなかった。

【次ページ】 “悪役”明徳義塾が敗れた直後の甲子園で

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