甲子園の風BACK NUMBER
「水分補給もして、ドクターもいた」ど根性野球の昭和に甲子園連覇した公立高の“先進性”「県大会は勝って当然…校歌をちゃんと歌え、とクレームも」
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元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph byJIJI PRESS
posted2026/08/27 06:01
1979年夏、公立高校として史上唯一の甲子園春夏連覇を果たした箕島。尾藤公監督(左から2人目)は当時としては常識破りのコンディショニング方法を取り入れていたという
「和歌山大会の事実上の決勝戦と騒がれていました。市和商のセカンドは同じ3年生の正田が守っていました。4回に正田のエラーから箕島が1点を取って、そのまま1対0で9回まで進んだんですけど、最後にピンチになりました」
9回裏、市和商の攻撃はツーアウト満塁、一打サヨナラの場面だ。
「内野手とキャッチャーがマウンドに集まってくれたんですけど、みんなが口々にいろいろなことを言うんですよ。『負けたら丸々、夏休みやな、海で遊ぼうや』とか。『打たれろ』とかね(笑)。サードの浦野泰之は『俺んところに飛んできたら絶対にエラーするけど、文句言わんでくれよ』と言う」
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市和商のバッターの打球はサードにふらふらと上がり、浦野が捕って試合終了となった。
淡々と勝利し「校歌をちゃんと歌ってないやないか!」
誰もが緊張する大会の初戦、強敵に競り勝った箕島。その後はいつも通り、淡々と勝ち上がっていった。
「和歌山大会は全試合、テレビ中継があったんですけど、試合を見た視聴者から『試合後の校歌斉唱の時、箕島の選手は歌ってないやないか!』というクレームがあったそうです」
勝って当たり前という意識が悪い方向に出たのかもしれない。
「あとで『そのへんはちゃんとせいよ』と注意を受けたことを覚えています」
強敵を退けた箕島は準決勝で桐蔭を4対0、決勝で田辺商業を5対1で撃破し、2年連続の夏の甲子園出場を決めた。
「優勝が決まった瞬間、普通なら選手たちがマウンドに集まってワーッとなるんでしょうけど、キャッチャーの嶋田宗彦と握手をして終わり。ほかの選手たちも喜んで抱き合うみたいなことはありませんでした」
センバツ王者が当然のようにつかんだ夏の甲子園への出場権だった。
〈つづく〉

