甲子園の風BACK NUMBER
「水分補給もして、ドクターもいた」ど根性野球の昭和に甲子園連覇した公立高の“先進性”「県大会は勝って当然…校歌をちゃんと歌え、とクレームも」
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元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph byJIJI PRESS
posted2026/08/27 06:01
1979年夏、公立高校として史上唯一の甲子園春夏連覇を果たした箕島。尾藤公監督(左から2人目)は当時としては常識破りのコンディショニング方法を取り入れていたという
「人間の目の構造をもとに、どんな配球をすれば打ちにくいかということもわかりました。インコース高めのボールのあとにアウトコース低めに投げると遠く感じるというようなことですね。あとはバッターの体型によって、打ちやすいコースやバットを出しにくいコースがあるということも」
医者から聞く話を参考に、ピッチングに関する引き出しを増やしていったのだ。
「練習後に先生の自宅におじゃまして、ご飯をごちそうになることも多かったですね。その時に、トレーニング方法や体調管理についてもアドバイスしてもらいました」
エアコンで就寝、血液検査や栄養管理も
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当時からすれば、常識的とは言えないものもあった。
「真夏に寝苦しい時にはエアコンを入れてちゃんと寝るようにと指導を受けました。だから、僕の部屋にだけクーラーがあって。タイマーをかけて就寝することで、十分な睡眠がとれました」
根性、根性、ど根性の昭和の野球で、「ピッチャーは肩を冷やすべきではない」という指導が多かった。しかし、先進的な考え方を取り入れていたから箕島は強かった——石井はそう証言する。
現在の高校野球では休養、栄養を重視するようになっているが、箕島はそれを早くから実践していたということだ。
「選手が血液検査を受けて、『ビタミンが足りない』などと教えてもらいました。僕の姉が食物科で学んでいたこともあって、楠本先生のアドバイスを参考にしながら、栄養管理をしてくれました。『朝はこれ、夜はこういうものを食べなさい』と。もし体重が落ちるようなら、寝る前にアンパンを食べたほうがいいというように」
身長172センチ、体重60キロ台の石井が、連投に耐えられたのは普段からの体力づくり、コンディショニングの賜物だろう。

