甲子園の風BACK NUMBER
「水分補給もして、ドクターもいた」ど根性野球の昭和に甲子園連覇した公立高の“先進性”「県大会は勝って当然…校歌をちゃんと歌え、とクレームも」
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元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph byJIJI PRESS
posted2026/08/27 06:01
1979年夏、公立高校として史上唯一の甲子園春夏連覇を果たした箕島。尾藤公監督(左から2人目)は当時としては常識破りのコンディショニング方法を取り入れていたという
「アイスノンってあるじゃないですか、患部を冷やすものが。箕島ではそれをお湯で温めて、ピッチング練習が終わったあと、ピッチャーのひじや肩に当てていました。酷使した部分の血行をよくして回復を促すという方法ですね。おかげで僕は、ひじも肩も痛めたことがありませんでした」
とても、50年前のこととは思えない。
「今の高校生がやっていることをその当時から箕島でやってもらっていたということですね。ケガをした場合の医療体制も整っていましたから、安心してプレーできました。もちろん、故障の予防法も教えてもらっていました」
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ちなみに1979年夏の甲子園の3回戦。星稜(石川)との延長18回の戦いのあとにも、その強みが発揮されたという。
「外科の先生にもチームドクターとしてついてもらっていました。僕は試合中に中指に血豆ができて、それを潰してしまったんですが、すぐに処置してもらいました。セカンドの上野山善久が高熱を出していたので、20時に試合が終わったあと食事をしてから先生の車で箕島まで戻り、栄養剤を打ってもらいました」
20代の若さで日本一にのぼりつめた尾藤の懐の深さ、厳しい練習とチームの一体感、先輩たちから受け継がれた勝者のメンタリティ、そしてスポーツ医学の活用。これらがうまくミックスされていたからこそ、箕島は強かったのだ。
和歌山大会、初戦のピンチにメンバーは……
しかし、監督も選手も学校関係者も「勝って当たり前」と思っていたその夏の和歌山大会。1回戦でいきなりピンチが訪れた。
「和歌山大会の1回戦、開会式直後の試合で市立和歌山商業(現・市立和歌山)と対戦したんです」
市立和歌山商業は、1960年代に3度も甲子園に出場した名門のひとつ。藤田平(阪神タイガース)、正田耕三(広島東洋カープ)など名選手をプロ野球に送り込んでいる。

