箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
「大学4年間は、50点ぐらい」佐藤圭汰が渡米直前に語った駒澤大時代…怪我を抱えても箱根駅伝を走ったのは「自分の知名度を上げるためも」
text by

佐藤俊Shun Sato
photograph byMiki Fukano
posted2026/04/27 11:00
Nike Swoosh TCで世界の舞台に挑んでいく佐藤が、渡米直前に心境を語り尽くした
最初の大きな怪我は大学2年の3月に受傷した恥骨の疲労骨折で、歩くのもままならないほどの痛みを抱えた。「体のバランスが崩れている」とトレーナーから指摘され、怪我の要因となった体の負担が大きいフォームの改造に着手した。
「指摘されたところをひとつひとつ丁寧に直してフォームを修正していかないと、怪我をした部位が治ったとしても、同じフォームだとまた同じようなところを怪我してしまうんです。走れない時に徹底して修正すべきと言われて取り組んでいたのですが、結局、同じところを3回怪我したので……。うまく修正できないまま、自分の体にかなりの負荷をかけてしまいました」
大学3年、4年で故障した際には、1カ所に限定せずにいろいろな治療院やトレーナーに診てもらったのだという。その中で自分が「いいな」と思える人がいれば、しばらくそこで治療を継続していくようにした。推奨や口コミを鵜呑みにするのではなく、怪我へのアプローチと、自分が治療を受けた際の感覚を大切にしたのだ。誰のせいでもなく、自らの選択に責任を負うためだった。
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同時に、自分の体について学ぶようになった。
「怪我をする前までは、ただ記録を出すことに集中して練習することしか考えなかったんです。でも、怪我してからはこの練習が終わった後、どういう部位に疲れが出て、どんな疲労感が体に出るのか、確認するようになりました。
今よりももっとレベルの高いタイムを出すには、さらにレベルの高い練習をしないといけない。その練習を継続するためには、自分の体の声を聞き、自分の体と向き合うことが大事になります。怪我や不調になった際、早く回復できるようなケアやセルフコントロールの仕方を知っておかないと強い選手にはなれない。怪我している時は、ある意味、学びの期間でもありました」
最後の箱根は1カ月前までダメだと思っていた
大学4年では、恥骨の疲労骨折が完治し、全日本大学駅伝で復帰。7区3位ながらチームの2年ぶりの優勝に貢献した。さぁ箱根という時に、今度は大腿骨を疲労骨折した。それでも2週間程度で仕上げ、10区を走って区間新を出し、他大学の選手、監督やファンの度肝を抜いた。
「最後の箱根は、1カ月前までは正直、ダメだと思っていました。でも、直前のポイント練習で、『これいけるかも。いくか』みたいになって(笑)。ワンチャンいける感じになったので、なんとか間に合わせたんですけど、医師からは終わってからのダメージを覚悟しておかないとダメだよって言われました。走っていて、どうしようもなく痛くなったら途中でやめるしかない、っていう際どい状態での出走でした」


