箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
「大学4年間は、50点ぐらい」佐藤圭汰が渡米直前に語った駒澤大時代…怪我を抱えても箱根駅伝を走ったのは「自分の知名度を上げるためも」
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佐藤俊Shun Sato
photograph byMiki Fukano
posted2026/04/27 11:00
Nike Swoosh TCで世界の舞台に挑んでいく佐藤が、渡米直前に心境を語り尽くした
10区を任された佐藤は、鬼気迫る走りで区間新を出し、有終の美を飾った。ヘタをすれば選手生命にもかかわったわけだが、そこまでして佐藤を箱根に駆り立てたものはいったい何だったのか。
「チームのためにというのが第一ですが、プロになることを見据えて、少しでも自分の知名度を上げたかったのもあります。(知名度)あるじゃんって言われますけど、自分の名前は陸上関係者や選手には知られているかもしれないですが、陸上を知らない一般の人には知られていないじゃないですか。
日本では世陸や五輪よりも箱根を見ている人の方が多いなって高校時代から感じていましたし、今もトラックよりも駅伝、箱根が注目されている。箱根には一般の人が感情移入しやすい選手のストーリーがあるので、それを見てファンになってくれる人も多いんです。多くの人に顔と名前を覚えてもらう機会は、箱根以外にない。そこで結果を出した方が今後のためになる。最後の箱根は、そういう思いもあって走りたかったんです」
2区を走りたかったという思いはある
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10区の区間新の走りは、青学大優勝に次いで大きな話題として取り上げられた。足に貼られたテーピングをボロボロにしながら快走する姿は、多くの人の目に焼き付けられたはずだ。
「あのテーピング、汚かったですよね(笑)。あれは、テーピングしないと無理とかいうのではなく、トレーナーが、終わってからのダメージを減らすために貼ってくれたんです。終わり良ければじゃないですけど、最後に区間新を出せて良かった。悔いですか? 2区を走りたかったという思いはありますけど、無理して走ってチームに迷惑をかけたり、その後のキャリアに影響するくらいなら、10区でいいと思っていました」
箱根駅伝には3度出走したが、怪我の影響もあり、エース区間の2区は走らずに終わった。駒澤大の先輩・田澤廉と吉居大和(中央大)の2区での競り合いを知るファンであれば、佐藤と溜池一太(中央大)、黒田朝日(青学大)らとの激闘が見たかったという人は多いだろう。結局3区、7区、10区を駆けた箱根で、もっとも佐藤の印象に残っているのはどの区間だったのだろうか。

