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「大学4年間は、50点ぐらい」佐藤圭汰が渡米直前に語った駒澤大時代…怪我を抱えても箱根駅伝を走ったのは「自分の知名度を上げるためも」
posted2026/04/27 11:00
Nike Swoosh TCで世界の舞台に挑んでいく佐藤が、渡米直前に心境を語り尽くした
text by

佐藤俊Shun Sato
photograph by
Miki Fukano
「駒澤大での4年間は、自分が思い描いていたものではなかったです」
佐藤圭汰は、少し悔しそうな表情で、そう振り返った。
「正直、競技でいうと50点ぐらいですね」
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やけに厳しい評価だが、どこにマイナス50点があったのだろうか。
「大学入学の頃は、4年間で1回は箱根駅伝に出て、活躍したいと思っていました。そこに関しては箱根をはじめ大学駅伝で4回区間新を出せましたし、全日本で優勝するなど、結果を出すことができました。でも、自分たちの代で駅伝3冠を達成できなかったですし、個人的には怪我がずっと続いて、トラックでは日本選手権や東京世界陸上、パリ五輪など大事なレースに出場することができなかったので……」
ただ、と佐藤は、こう付け加えた。
「結果以外では、怪我をして復帰するにあたってのプロセスで、いろんなトレーナーの方に診てもらい、いろんな治療方法を学ぶことができました。これは今後に活きると思うのでトータルでいうと80点ぐらいかなぁと思います。……でも、やっぱりトラックで結果を残したかったですね」
負傷を繰り返したわけ
佐藤は在学中たびたび故障に苦しんだが、その要因のひとつになったのがトラックでの1500mや5000m種目から、ロードの箱根の20kmへの移行だった。地面を蹴って爆発的なパワーで走り抜ける1500m、スピード重視の5000mのフォームは、出力を抑えた省エネ走行の20kmのフォームとは異なる。同じく本来1500mをメインとする選手だった館澤亨次(東海大-SGH)も、かつて日本インカレの1500m出場後に箱根の20kmの練習にシフトする際、「地獄を見るほどしんどい」と語っていた。
「400mを60秒で走ると、他の選手のフォームと自分のフォームは全然違うんです。自分はあまり頑張らなくても60秒でいけてしまうし、スピードが出ます。でも、このフォームから省エネを意識する長距離のフォームに切り替えるのが難しいんです。
結局、トラックのフォームとあまり変わらないまま20kmを走っていたのですが、出力のパワーがある分、体の負担が大きくて、怪我に繋がってしまった。大2までは怪我がなかったんですが、大3から怪我が増えたのは、過去2年間の負担の蓄積があったからだと思います」

