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「ヤンチャ坊主とは聞いていた」Jリーグ鹿島“伝説のスカウト”が後継者・興梠慎三を見つけた日…半端ない高校生・大迫勇也につながる「柳沢敦」の系譜
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安藤隆人Takahito Ando
photograph byYUTAKA/AFLO SPORT
posted2026/04/10 11:02
2005年に鹿島アントラーズに加入した興梠慎三(写真)。移籍した浦和レッズでもタイトル獲得に貢献した
「確かにそういう話は聞いていた。けど、あいつは練習をサボらなかった。サッカーに対しては真剣だったし、本当に誠実だったし、サッカーがすべてのような人間だった。アントラーズでサッカーをもっと極めることで、プロの世界で人間として十分に成長できると思った」
増田の獲得を成功させた椎本は、興梠に正式オファーを出すために宮崎に飛んだ。そして本人と面談してこう伝えた。
「君には他人に真似できない能力がある。サッカーで絶対に負けるな。常に全力でやってほしい」
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真剣な眼差しで見つめ返す青年の姿に、椎本は「柳沢に次ぐエースになる」と確信した。
鹿島にやってきた興梠はルーキーイヤーで出番を掴むと、2008年には柳沢からエースナンバー「13」を引き継ぎ、チームを牽引する存在になった。
「プロに入ってから母校にボールを送ったり、顔を出したり、スパイクを送ったり、いろいろ面倒見が良くて義理堅いんだよね。引退した後も、事業をやりながら解説者もやって、サッカー人としても社会人としてもきちんとやっている姿を見ると本当に嬉しいよね。やっぱりあいつはサッカーが好きなんだよね」
日本サッカー界の宝物
柳沢の成功体験が生かされたケースがもう一人いる。椎本のスカウト人生において分岐点にもなった鹿児島城西高校の大迫勇也だ。
椎本が初めて大迫の存在を知ったのは、大迫がまだ高校1年生だった頃のインターハイ予選だった。
「中央の位置からサイドに流れてボールを受けた時、ボールに一切触れないでボディーフェイントだけで相手をかわしていったんだよ。『これ、面白いな』と思ったのが最初でした」
一瞬のプレーだったが、前のめりになる自分に気がついた。長年培ってきた直感は裏切らなかった。
「身体の使い方が上手くて、特に当時から相手を背負ってのターンは絶品。強引に切り込むだけでなく、周りもきちんと使える。周りが見えているんだよ。ボールの動きも、相手の動きも味方の動きも分かっているから、どこで受けるか、どこにボールを置くのか、どうかわして崩していくのかがイメージできている。ヘディング以外はずば抜けていた」
鹿児島には足繁く通った。筆者が鹿児島城西の試合を観に行った会場には、必ずと言っていいほど椎本の姿があった。当時漏らした言葉は今も覚えている。
「大迫は本物だ。間違いない。アントラーズスピリットを叩き込んだら、柳沢以上のもっと大きな選手になる」
当然のように争奪戦となった大迫は、高校3年生の2008年夏に鹿島入りを決意した。そして、最後の高校サッカー選手権では大会最多得点記録を更新する10ゴールをマーク。超高校級の怪物と謳われ、“半端ない”というネットミームを生むほどのインパクトを与えた。
「チームに合流した時に『選手権、もっと点が獲れたんじゃない?』と聞いたら、あいつ平然とした顔で『もっと獲れたと思います』って言うんだよ。『でも、翌日にすぐに次の試合があるので、リードした時は少しだけ流していました』って。肝が据わっているし、さすがだよね」
ただ、逸材ゆえに預かるほうの重圧は増す。ましてや日本サッカーを背負う宝。育てることができなければ世間の目はクラブに向く。だが、椎本は「鹿島」への自負をのぞかせる。


