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「フォルティウスは自分たちだけのものでは」悲願の五輪に涙…“カーリング娘”人気から紆余曲折の20年「一緒にやろう」北海道→愛知に足を運んだことも
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石川仁美(Number編集部)Hitomi Ishikawa
photograph byJCA
posted2026/02/12 06:00
念願の五輪の舞台に立つカーリング女子日本代表のフォルティウス。彼女たちの関係性とはどのようなものだろうか
「自分たちはオリンピックを目指すチームなんだということで決めました。メンバーは変わっても、思い入れのあるチーム名です」
これがフォルティウスの出発点だ。
なぜ「フォルティウス」の名がすぐ浸透しなかったか
しかし、すぐにチームの名前が世間に浸透したわけではなかった。
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04年の日本選手権で無敗の完全優勝をしたものの、次のシーズンから日本カーリング協会の規約改正で、登録名はスキップの名前か、法人名や地域名に限られることになってしまう。小笠原は当時の記憶をこうたどる。
「自分たちでつけた名前では大会に出場できないんですよね。当時、私は旧姓の小野寺だったのですが、個人競技じゃないし『チーム小野寺』は違うなと思って。登録名は青森にカーリングを根付かせるために『チーム青森』にしたんです」
こうして、フォルティウスは「チーム青森」として知られるようになり、「カーリング娘」として注目された小笠原らの活躍で競技の知名度は爆発的に広がった。当時のメンバーは、小笠原に船山(当時はそれぞれ旧姓の小野寺、林)、目黒萌絵、寺田桜子、そして、現在はロコ・ソラーレの代表理事を務める本橋麻里。今も日本のカーリングを支える面々が集まっていた。
「愛知と北海道は本当に遠く離れているのに」
その後、フォルティウスの名が再び知られるようになるのは、トリノ五輪後に第一線を退いた小笠原と船山が出産を経て競技復帰し、11年に北海道銀行の支援のもと『北海道銀行フォルティウス』として活動を再開した時だった。この時、創設メンバーとして加入したのが、現在はロコ・ソラーレ所属の吉田知那美とサードの小野寺佳歩。小野寺はジュニアのトップ選手の1人だったが、中京大では陸上に絞ってトレーニングをしていた。そんな小野寺をわざわざ愛知まで訪ね、「一緒にやろう」と声を掛けたのが小笠原と船山だ。
小野寺は、2人の申し出に今でも感謝している。

