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箱根駅伝の監督会議で「繰り上げだけは勘弁してくれよ」“舐められた”日本学連選抜の怒り…「クリスマスも“野郎ばっか”で合宿」寄せ集めチームの絆
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小堀隆司Takashi Kohori
photograph byRyuichi Kawakubo/AFLO SPORT
posted2026/01/30 11:32
2004年の第80回箱根駅伝、往路スタート直後。写真左端が日本学連選抜の白濱三徳(徳山大)
片岡が「テンションの低さというか、なんで地方のやつらと走んなきゃいけねえんだっていうのは、関東の子たちにはあったと思います」と語るように、生涯一度のチャンスに懸ける選手たちと、一度は予選会で敗れた選手とでは、モチベーションの部分で大きな差があった。母校の襷への思いが強いぶん、選抜チームに心が向かない者もいたことだろう。
その中で、出場に意欲を燃やしていた関東の選手もいる。筑波大4年の鐘ヶ江幸治だ。
「卒業したら陸上は辞める」ラストランへの思い
筑波大は古豪の一つだが、当時は本戦出場から10年も遠ざかっていた。出場枠が5校増えた70回記念大会に久しぶりに出場したものの、結果は最下位。つまり、元からチームとしての出場は難しい状況にあったのだ。
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鐘ヶ江は奈良学園高の3年時にインターハイの5000mで8位入賞を果たした実力者である。箱根を目指すのであれば強豪校に進学する道もあったが、あえて箱根とは縁の薄そうな筑波大に進学した。もちろん学業を優先しての決断だったが、頭の片隅には、この80回大会で筑波大が復活を果たせるのではないかという期待もあったという。
当時抱いていた思いを、鐘ヶ江はこう打ち明ける。
「あの年の予選会のメンバーを見ていただければわかるんですけど、自分より一つ上の先輩たちが出ているんです。当時、予選会は一人4回しか走れなかったので、先輩たちはあえて枠を残して、大学院に進んでまでこの80回大会に合わせた。少なくとも長距離部員の中ではこの年の予選会に懸けるという思いは本物でした」
筑波大は院生3人を含むメンバーで予選会に臨んだが、15位と思わぬ惨敗を喫した。鐘ヶ江もやはり一度は気持ちが沈んだというが、ある思いをきっかけに熱量が復活する。チーム1位の走りではあったものの、やりきれなかったという思いが炭のようにくすぶっていた。
「予選会は意気込みすぎてしまって、正直、思ったほどの走りができなかったんです。でも、このチームに選ばれて、卒論にもメドがついて、やっぱり箱根を走れるのであれば走ってみたいと。当時はもう大学を卒業したら陸上を辞めることを決めていたので、ラストランを飾りたいというのが一番のモチベーションでした」
