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箱根駅伝の監督会議で「繰り上げだけは勘弁してくれよ」“舐められた”日本学連選抜の怒り…「クリスマスも“野郎ばっか”で合宿」寄せ集めチームの絆
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小堀隆司Takashi Kohori
photograph byRyuichi Kawakubo/AFLO SPORT
posted2026/01/30 11:32
2004年の第80回箱根駅伝、往路スタート直後。写真左端が日本学連選抜の白濱三徳(徳山大)
一度はメンバー落選…岡山大・末吉勇の情熱
復路メンバーは最後まで流動的だったが、片岡は合宿中にアンカーを任されたという。チームの継走を締めくくる役割で、指名されたときはさぞ嬉しかったのかと思いきや、意外な心境を吐露する。
「最初聞いた時は、ウソーって思ったんですよ。だって、アンカー区間は東京じゃないですか。どうせ一度きりの箱根駅伝なら、箱根らしいところを走りたかった。けっこう上りが得意だったので、走るんだったら5区かなって。鐘ヶ江が経験者であることは知ってましたけど、そんなにすごいのかなって、その時は思ってましたね(笑)」
後に片岡はこの時の思いを“撤回”することになるのだが、それはもう少し先の話だ。
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ボーダーライン上にいた選手は、区間エントリーが発表になる12月29日まで気が休まることはなかった。岡山大の末吉勇は、この頃の記憶として、あるシーンを強く心に留めている。
「あの時、岡山大のグラウンドで30000m走っていうのをやったんです。30kmじゃなくて、トラックを使った30000m。メンバーが代わる代わる僕を引っ張ってくれて、(1周400mの)トラックを75周走りました。まあ根性論じゃないですけど、距離に対する不安をなくしたかったんでしょうね。実際はそこでちょっと足を痛めたんですけど、最後まで足掻きたい気持ちはあったと思います」
岡山大のユニフォームは鮮やかな黄色である。多くの先輩たちが袖を通してきたユニフォームを箱根路に刻みたい。そんな思いが部員たちの間でも共有されていたのだろう。末吉のエピソードからは地方大学のこの大会に向けた熱量が伝わってくる。
しかし、区間発表の日、末吉の名前はどこにもなかった。メンバー落選。この時の思いを、末吉は当時のブログにこう綴っている。
「チームの雰囲気を壊したくなくて空元気を振りまいていたけど、正直精神的にきつかった。(中略)部のみんなや友達、親族一同、近所のばあさんに至るまでかなりの人に応援してもらっていたのでなんとかメンバー入りの報告がしたかった」
外れた6名はそれぞれに同じような思いで唇を噛みしめたことだろう。
だが、末吉のドラマには続きがあった。
<続く>
