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カターレ富山“奇跡のJ2残留”は必然だったのか?「完全にゾーンに入っていた」左伴繁雄社長の哲学「胸を張って降格して、またチャレンジすればいい」
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宇都宮徹壱Tetsuichi Utsunomiya
photograph byTetsuichi Utsunomiya
posted2026/01/23 11:06
都内で取材に応じたカターレ富山の左伴繁雄社長
「ウチのチームは火がつくのが遅いけれど、一度着火すると止まらない。昨年のプレーオフのように、土壇場で何点も取ってきたクラブです。今年もアディショナルタイムの得点が多かった。むしろ前半、河井陽介のFKがバーに当たって入らなかったのがよかった。あそこで1-0になっていたら、着火しづらかったかもしれない」
「絶対に折れない」「諦めの悪さ、日本一」「転んだ者のほうが強い。俺たちは十分転んできた。今が一番強い」──。リーグ戦終盤、クラブ公式はこうしたポジティブなメッセージを繰り返し発信してきた。いずれのコピーも、発案者は社長の左伴。こうしたメッセージは、ファン・サポーターのみならず、選手たちにも刷り込まれていった。
「SNSのストーリーに上げると、ほとんどの選手がチェックしていましたね。こういうメッセージを出し続けたのは、クラブ全体が揺れないようにしたかったからです。まずはトップが、折れない姿勢を一貫して見せることが大事だと考えていました」
シーズン途中での監督交代に踏み切った理由
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2024年のJ2昇格プレーオフで優勝し、11年ぶりのJ2復帰を果たした富山。2025年は第4節で3位に浮上するなど、序盤戦までは好調を維持していた。しかし、そこから16試合勝利なしのトンネルに入り、19位まで順位を下げてしまう。
この間、クラブは5月27日に監督交代を決断。現役時代から富山一筋、指揮官としてもJ2昇格に貢献した小田切道治は、このタイミングでチームを去ることとなる。この監督交代について左伴は「理由は2つありました」と語る。
「ひとつは、攻撃力不足。小田切体制では、強度や球際や素早い切り替えで戦うサッカーを続けてきましたが、ボール保持から崩しの部分の落とし込みが弱かった。もうひとつは、小田切を外に出して経験を積ませたかったこと。彼には以前から、富山でずっと指揮を執るのではなく、県外のクラブでも仕事をしたほうがいいと話していました」
解任が夏になってしまうと、次の仕事が見つかりにくい。であれば、傷が浅いうちに他クラブで指揮を執る可能性を残したい。そんな親心もあったようだ(その後、小田切は6月にJ3の奈良クラブの監督に就任)。
もちろん、残留するための決断でもある。「シーズン途中で監督を代えて、かつサッカーも変えるのは時間がかかる。だから少しでも早く動きたかった」と左伴。後任監督は、横浜F・マリノスでアシスタントコーチを務めていた、安達亮の一択だった。

