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カターレ富山“奇跡のJ2残留”は必然だったのか?「完全にゾーンに入っていた」左伴繁雄社長の哲学「胸を張って降格して、またチャレンジすればいい」 

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宇都宮徹壱

宇都宮徹壱Tetsuichi Utsunomiya

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photograph byTetsuichi Utsunomiya

posted2026/01/23 11:06

カターレ富山“奇跡のJ2残留”は必然だったのか?「完全にゾーンに入っていた」左伴繁雄社長の哲学「胸を張って降格して、またチャレンジすればいい」<Number Web> photograph by Tetsuichi Utsunomiya

都内で取材に応じたカターレ富山の左伴繁雄社長

「マリノスで社長をやっていたときから、安達のことはよく知っていましたし、富山を3シーズン率いていますからね(2018~20年)。そのときのデータも残っているんですが、シュート20本前後を打つような攻撃的なサッカーで、チームを年間4位まで持っていった。今の強化費の4分の1ぐらいの予算で、それを実現していたわけです」

 安達に求められていたのは、シンプルに攻撃力のアップ。しかし、すぐにチームの成績が上向くわけではない。就任後の初勝利は、5試合目(第21節)のジェフユナイテッド千葉戦で、スコアは1-0。第35節までの勝利は3試合にとどまり、いずれもウノゼロだった。逆に失点は増えて、3失点で敗れたのが4試合。葛藤と忍耐の日々が続く。

「安達が相当に悩んでいるのは伝わってきました。失点が止まらなかったので、練習の比重も守備に傾いていった時期があります。すると今度は、攻撃のトレーニングが減っていく。とはいえサッカーの中身について、社長が口を出すべきではないですからね。『サッカーの中身はお前が考えて、ジャッジしたことをやればいい』『お前を呼んだ理由は、攻撃を上乗せすること。そこはブレずにいてほしい』とだけ伝えました」

「胸を張って降格して、もう一度チャレンジすればいい」

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 それにしても、と私は思う。なぜ左伴は最後まで、安達に攻撃サッカーを続けることを求めたのだろうか。降格するリスクは、あえて度外視していたのだろうか。

 2001年に横浜F・マリノスの社長に就任して以降、左伴は湘南ベルマーレ、清水エスパルスで社長や事実上の経営トップを務め、三顧の礼をもって富山にやってきた。クラブやカテゴリーは変わっても、彼自身の経営哲学は一貫して変わっていない。

「それは『方針を変えて結果を出すくらいなら、方針を変えずにやり切って落ちた方がいい』ということ。サッカーのやり方を変えたら、短期的には残留できるかもしれない。けれども、それが未来につながるかというと、そうは思えませんね。方針を変えずに結果につながれば一番いいし、結果が出なくても胸を張って降格して、同じサッカーでもう一度チャレンジすればいい。そう思っています」

【次ページ】 ゴーンと岡田武史に学んだ「信じて、任せる」姿勢

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