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「ワシの言うこと聞けば天下獲れるわ」精神論でも体力自慢でもない高校サッカー初三冠・東福岡伝説「雪の決勝直前…」「黄金世代のU-20代表に4人」
text by

生島洋介Yosuke Ikushima
photograph byKyodo News
posted2026/01/18 11:02
1997年度、高校サッカー三冠を達成した東福岡。人気は頂点にあった
かつて八幡製鉄(後に新日鉄)を率いた名将は、海外の戦術本を翻訳して研究し全国有数の強豪に鍛え上げた。70代を目前にした当時も自らボールを蹴り、培った理論を高校生に理解できる形に落とし込んでいた。寺西さんはこう豪語していたという。
「ワシの言うこと聞けば、天下獲れるわ」と。
その戦術は、当時としては驚くほど緻密で整理されていた。ピッチ上のあらゆる局面で、ボール保持者には常に「3つのパスコース」があることを徹底。選手たちはただ走るのではなく、ピッチの至るところで「ダイヤモンド」や「三角形」を形成し、動かしながら連動した。徹底して練習したのはパスコースの作り方だった。
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「今の目で見ていても、あそこまで細かくやっているチームは少ないんじゃないかと思うくらいです。相手のマークを引き出してスペースを作り、そこを別の選手が使う。潰れ役の動きまで、セオリーとして共有されていました」
調子がいいときは「ウイイレ」みたいに
東福岡のパスサッカーが機能したこの時期から、ピッチに立つ金古のプレーにも変化が現れていたという。
「調子がいい時は、ピッチを真上から見ているような、『ウイイレ』みたいな感覚になるんです。ピッチにマス目が見えて、どこにパスを出せば相手が崩れるのかが、鳥のような視点で把握できていました」
この高度な機能美を支えていたのは、意外にも制約だらけの練習環境だった。東福岡には「走り込み」や「筋トレ」というメニューは存在せず、練習時間は夕方のわずか1時間半に凝縮されていた。現在は立派な人工芝のピッチを持つが、当時はラグビー部や野球部と土のグラウンドを分け合ったため、サッカー部が使えるのはわずか半面。時には隣から野球のボールが飛び込んできた。朝練はなく、19時には照明が落とされ、個々が自分の課題に取り組む時間も30分に限られた。
「全体練習が終わると、本山さんが1対1やろうって誘ってくれるんです。この人を止めたら誰でも止められると思ってやってましたけど、ダブルタッチがめちゃくちゃ上手くて全然取れなかった」
雪の決勝前に“記念撮影”、U-20代表に4人も
まるでクラブチームのような環境を支えていたのは、厳格な上下関係ではなくフラットで明るい空気だった。

