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バレーボールPRESSBACK NUMBER
「今思えば、それが遺言でした」急逝した高校バレー名将が最後に託した“小さな2人のキーマン”…逸材2年生エースを支えた常勝軍団・鎮西の結末
text by

田中夕子Yuko Tanaka
photograph byHiroyuki Nakamura
posted2026/01/14 11:01
優勝した東山高校に準々決勝で敗れ、「高校3冠」を逃した鎮西高校
国スポでは決まっていた一ノ瀬のスパイクはワンタッチを取られ、岩下や西原涼瑛(3年)の速攻を使ってもまたブロックとレシーブで対応される。「圧倒された」と試合を振り返るのは主将のセッター福田空だ。
「ブロックとレシーブの関係が上手で、打っても打っても決まらない。スパイカーもストレスとプレッシャーがかかってつらかったと思うんですけど、自分もしんどかったです」
東山が第1セットを21対25で先取。第2セットは鎮西が先行するも、中盤に東山が追いつき、デュースにもつれる激闘となった。相手のブロックが2枚、3枚つく中でも、福田は一ノ瀬のバックアタックを選択し続けた。
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「一ノ瀬は2年生なんで、背負わせすぎないようにしたかったんですけど、大事なところで一番信用できるのは一ノ瀬だった。きついかもしれないけど、どんな時でも一ノ瀬に託しました」
最後は東山の2年生エース岩田怜緯にバックアタックで29点目を決められ、鎮西の「3冠」の夢は絶たれた。一ノ瀬は敗戦の責任を背負って涙し、取材に応じることもできなかったが、新チームでは主将に就任する。きっと、さらに強くなった姿で同じ舞台に戻ってくるはずだ。
畑野監督の遺言「あの2人で行く」
「もっと自分が力になれれば(チームと一ノ瀬を)助けられた」と大会を振り返るのは、一ノ瀬の対角に入ったアウトサイドヒッター大石秀(3年)だ。相手にブロックされても素早くフォローに入ってボールを拾い、「行け!」と2年生エースの背中を押し続けた。
実は、大石は昨年12月の天皇杯後に体調を崩していた。春高直前には右足首を捻挫し、出場すらも危ぶまれる状況だった。セッターの福田は大石の打数を意図的に減らしていた。
大石は1年時からコートに立ち続けてきた一人だった。
「僕は身長が低いので、畑野先生が望むような“大エース”になることはできなかった。でも畑野先生が『小さいからこそできることがある』と教えてくれたので、それをずっと心の底に置いて来た。自分がやるべきことをやろう、少しでも支えになれればという思いでした」
最後までセッターとアウトサイドのメンバー選考に苦慮していた、と明かすのは宮迫竜司監督だ。負傷を抱えただけでなく、高さを活かすなら小柄な福田と大石を外す選択肢があったが、「小さくてもやっぱり“あの2人”で行く」と決断したのが畑野前監督だった。
「今思えば、あの言葉が畑野先生から残された遺言ですよね。正直に言えば、僕は迷っていたんです。でも先生がそう言うなら最後まで福田と大石でいこう、と決めた。先生が見たらどう言っていたかわからないし、今も本当は聞きたいですけど、もう、聞くことはできないので」
信じて起用し、信じて託す。選手たちは全力を尽くした。
「完全燃焼した気もする」と笑みを浮かべた福田は、最後に声を詰まらせた。

