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大阪桐蔭“最強世代のエース”はなぜプロで輝けなかった? 「性に合わずあれこれ考えるように…」元日ハム・柿木蓮が振り返る「結果が全ての世界」
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沢井史Fumi Sawai
photograph byHideki Sugiyama
posted2025/12/29 11:02
2018年の甲子園で春夏連覇を達成した大阪桐蔭「最強世代」のエースだった柿木蓮。満を持して進んだプロの舞台で、なぜ輝けなかったのか
ただ、2年目、3年目と二軍では登板機会があっても一軍デビューとはいかなかった。その後、4年目の2022年6月に交流戦の中日戦で2番手投手として念願の一軍初登板を果たす。1回を三者凡退に抑え、当時、就任1年目だった新庄剛志監督を喜ばせたシーンもあった。
その試合を含め、一軍で4試合登板したものの、シーズンオフに柿木は翌年から育成契約の打診を受けた。
実は2年目のシーズンに不安を感じたことがあった。
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「投げていて、スピードが思うように出なくなったことがあったんです。それで、性に合わずあれこれ考えるようになってしまったんです。トレーニングとか投げる時の意識とか深く考えすぎてしまって。そこからフォームがバラバラになって、身体と脳の動きが反比例するようになったことがありました」
「投げるたびに投げ方が変わるように…」
力任せに投げていた訳ではない。なのに、なぜだろう。ああでもない、こうでもないと自問自答の日々が続いた。それまでは自身が研ぎ澄ました感覚で投げていたが、その感覚さえ失った。
「キャッチボールひとつでも、肩が開かないよう指先を意識して投げられさえすれば大丈夫なのに、メカニック的なことまで考えるようになって。それから投げるたびに投げ方が変わるようになったんです」
中学時代から球速は誰にも負けていないと自負してきた。佐賀東松ボーイズ時代は3年生の時に最速143キロを計測し、周囲を驚かせたこともあった。その年に世界大会の舞台も踏み、当時は九州の中学生の中でも一目置かれる存在だった。

