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「以前の自分とは別人」腰の激痛で“首位打者打法”を捨て…ヤクルト川端慎吾が引退の今語る“代打の神様”への道と2021年「日本一の決勝打」秘話 

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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photograph byKeiji Ishikawa

posted2025/12/29 11:06

「以前の自分とは別人」腰の激痛で“首位打者打法”を捨て…ヤクルト川端慎吾が引退の今語る“代打の神様”への道と2021年「日本一の決勝打」秘話<Number Web> photograph by Keiji Ishikawa

ヤクルト一筋20年でユニフォームを脱いだ川端慎吾。絶頂期から、度重なる怪我との戦い、あの日本一の秘話までを回想した

怪我がバレてるのかな

「何とか西浦で決めてくれ、と思いながらネクストにいたら、え、敬遠? と。びっくりしました。怪我がバレてるのかな、そう思いながら打席に入りました」

 結果は押し出し四球。川端は一塁までゆっくりと歩き、ヤクルトに2点目が入った。続く第3戦でも川端は代打で四球を選び、日本シリーズでの初打席だった第5戦はライトフライ。幸運にも一度も全力疾走することなく、あの第6戦の打席を迎えていた。

「ブチってやっちゃったら終わり、という状態でした。それでも、あの打席に入った時はそんなことは考えることもなく集中していた。結果的に最高の一打が出ましたが、そもそも高津監督のあの言葉がなければ自分がベンチに入っていることはなかったし、あのヒットも生まれなかった。信頼してくださったその思いが、本当にありがたかった。絶対に忘れられないヒットです」

20年間……本当に十分ですよね

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「天才打者」としてスターダムに駆け上がり、最後は「代打の神様」として劇的な一打で何度も歓喜のシーンを作った。走り続けた20年間のプロ野球人生を、川端はこんな言葉で振り返る。

「色々なことがありましたけど、全てのことを経験させてもらいました。入団した当初はずっと二軍で、たくさん練習して何とか一軍に上がりたいという気持ちでやってきた。そこから何とかベンチ入りして、控えの選手からレギュラーにしていただき、最後は代打。

 たくさん怪我もしましたし、最高の思いも味わった。色々な経験をした分、色々な人の気持ちが分かる。それがこれからの人生にもつながっていくと思います。20年間……本当に十分ですよね。最高だと思います」

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「他球団ででも現役を続けようかと」元首位打者、苦悩の決断…さらば“燕のプリンス”川端慎吾「最後の打席でも“まだやりたいなあ”って(笑)」

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