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「以前の自分とは別人」腰の激痛で“首位打者打法”を捨て…ヤクルト川端慎吾が引退の今語る“代打の神様”への道と2021年「日本一の決勝打」秘話 

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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photograph byKeiji Ishikawa

posted2025/12/29 11:06

「以前の自分とは別人」腰の激痛で“首位打者打法”を捨て…ヤクルト川端慎吾が引退の今語る“代打の神様”への道と2021年「日本一の決勝打」秘話<Number Web> photograph by Keiji Ishikawa

ヤクルト一筋20年でユニフォームを脱いだ川端慎吾。絶頂期から、度重なる怪我との戦い、あの日本一の秘話までを回想した

医師も「こんな椎間板は見たことがない」

「過去の事例がないので、復帰できるかも分からないという状況。執刀した先生は『こんな椎間板は見たことがない』と言っていました。椎間板って普通は白から少し青みがかったような色をしているのですが、それが真っ赤だったらしいです。亀裂が入ってそこから血液が入ってしまっていた。その赤い部分を全部取り除いて、ラジオ波で焼いて、血液を止めて中を綺麗にする、というような難しい手術だったそうです」

 大手術が終わり10日ほどで退院した後も、痛み止めなしでは生活できないほどの状況が続いた。この時、川端は野球人生を賭けたある決断をする。

「自分が野球を続けるにはもう、代打しか道がないと思いました。前屈みになる姿勢は負担がかかるということで守備は出来ない。その時、もう自分には代打一本しか道はないんだ、と覚悟を決めたんです」

代打に特化した打撃術を

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 リハビリから復帰後は、代打に特化した新しい打撃フォームを模索した。「天才打者」の栄光に蓋をして、1球で狙い球を仕留める代打に特化した打撃術をゼロから作り上げた。2020年秋には若手に混じってフェニックス・リーグに参加し、12月には自身のバッティングの原点を作った野球指導者である父・末吉さんと徹底的に打ち込んだ。

「これがラストチャンスだと思っていました。親父に『ちょっと手伝ってくれないか』と言って、(自主トレ先の)松山で2人だけで打ち込んだ。親父も『最後は一緒に頑張ろう』と。どうしても首位打者を取った時の打ち方ばかりを追い求めてしまうけど、それを完全に捨てなければいけない。根本的に全部を変えていこうと、親父と特訓しました」

 バットのトップの位置を低くして、右足の上げ方を低く。1球あるかどうかの甘い球を確実に仕留めるためのバッティングフォームに変えた。

【次ページ】 日本一の決勝打秘話

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