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一児の母、コーチになった元100m日本女王・市川華菜34歳の告白「変なプライドは全部捨てたんです」五輪出場、華やかな現役時代のウラにあった“挫折” 

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矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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photograph byShiro Miyake/Asami Enomoto

posted2025/12/19 11:03

一児の母、コーチになった元100m日本女王・市川華菜34歳の告白「変なプライドは全部捨てたんです」五輪出場、華やかな現役時代のウラにあった“挫折”<Number Web> photograph by Shiro Miyake/Asami Enomoto

2021年に現役を引退し、現在は子育てをしながら中京大のコーチを務める市川華菜さん

 だが、この時は予選の前日に補欠になることが申し渡され、市川さんは世界陸上で走ることができなかった。

「私の中で初めての挫折でした。こんなに頑張ってきたのに落とされることがあるんだと、今までで一番悔しい思いを味わいました。そして『世界選手権より大きな大会はオリンピックしかない。絶対に出る』と心に決めました」

 市川さんの負けん気に火が付いた瞬間だった。

五輪のウラで起きていた“予期せぬ出来事”

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 翌2012年のロンドン五輪は日本女子にとって48年ぶりの4×100mリレー出場だった。現地へ行ったリレーメンバーは5人。また外されるかもしれないという不安は最後まであったというが、無事に4人のメンバーに選ばれ、晴れ舞台に向かっていけることになった。ところが予選前日にまたしても予期せぬことが起きた。走順が変更され、市川さんは急きょ4走から2走を任されることになったのだ。

 チームに動揺もあり、バトンがうまくつながらず、日本は予選で敗退となった。当時の心境を訊ねると、市川さんはこう言った。

「メンバーは仲間でもあるけどライバルでもあります。2011年の世界陸上で前日に外れていたので、ロンドン五輪も不安でした。私はなんとか4人のメンバーに入ったものの、それで気持ちは一杯一杯。今となってはロンドン五輪に出られたのはありがたいことなのですが、当時は動揺の方が大きくてそれにも気づけないほど苦しかったんです」

「変なプライドは全部捨てたんです」

 市川さんは翌2013年にミズノに入社し、社会人として陸上競技を続けることになったが、ロンドン五輪の後はスランプに陥ってしまった。社会人になって自由に使える時間が増えたことで練習をやり過ぎ、オーバートレーニングになり、腰を痛めた。

「あの時期の私は、もう100mには戻れないと思うほどのスランプで、そこから這い上がるために距離を伸ばして400mをやるようになりました」

【次ページ】 市川さんが指導者を目指した“きっかけ”

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